600年以上の歴史を持つ「十二社 熊野神社」
例大祭という伝統行事を受け継いでいく
歌舞伎町の若手たち

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2018年9月16日、新宿駅周辺と西新宿にまたがるエリアで、「新宿十二社熊野神社」の例大祭が執り行われた。今回は3年に1度、「陽の年」と呼ばれる年に当たり、13の睦(町内)は、村神輿(各町内の神輿)だけでなく、宮神輿(神社の大きな神輿2基)を渡御する。氏子である歌舞伎町エリアも、大勢の担ぎ手たちと見物客の熱気にあふれた。

今年渡御長を務め、奉賛会のメンバーとして本社神輿の渡御に関わられた片桐真介さんは、2014年、それまで30年以上の長きにわたり渡御長を務められた佐藤清さんから、責任ある渡御長を引き継いだ。同じく歌舞伎町から奉賛会に参加した柴本新悟さん、歌舞伎町で村神輿の渡御を務めた杉山文野さんとともに、30代〜40代の若手メンバーである。祭りをきっかけに「歌舞伎町」という街を盛り上げていこうとするお三方にお話を伺った。

片桐真介氏=歌舞伎町(現在は高田馬場)で酒屋丸石を経営。父の片桐基次氏は現在7代目として歌舞伎町商店街振興組合理事長を務める。

柴本新悟=歌舞伎町商店街振興組合専務理事。歌舞伎町で「大阪家」を営むほか、音楽フェス「CONNECT歌舞伎町MUSIC FESTIVAL」のプロデューサーを務める。

杉山文野=新宿区生まれ。株式会社ニューキャンパス代表。日本最大のLGBTプライドパレードである特定非営利法人 東京レインボープライド共同代表理事。性同一性障害など自身の体験を綴った著書「ダブルハッピネス」がある。実家は歌舞伎町の老舗とんかつ店「すずや」。

片桐さんは渡御長を引き継がれて、2回目の陽の年となりました。振り返られて、今回の例大祭はいかがでしたか?

実は渡御長を正式に引き継いだ年のお祭りの際、日頃お世話なっている新宿駅前の東部睦の先輩方が、「片桐が渡御長をやるなら一緒に担ごう」と歌舞伎町に来てくださったんです。最初の年だったのでもちろん全然余裕がなかったですし、祭りが終わった後は放心状態のような感じでしたけど、初年度から2睦での連合でやらせてもらえて、非常にありがたかったですね。

そうした経験があったので、初めて迎えた前回の陽の年の例大祭では、少しは余裕があったような状況でした。

片桐真介さん

片桐真介さんPhoto by Daisuke Takamura

今年は、僕はじめ新悟(柴本さん)とほか2名が、歌舞伎町から熊野神社直属の「奉賛会」という役員に選ばれて初めての例大祭だったので、わからないことだらけ、歌舞伎町の方も不在にしてしまうので、色々と不安はありました。

歌舞伎町から奉賛会に出席するメンバーは、これまでは経験者の方々がいらっしゃったのですが、ここが本当に世代交代じゃないかなというほど、全員が30代〜40代という初心者の僕たちに丸ごと変わったんですね。奉賛会として各睦、あちこち周りましたが、歌舞伎町に戻ってきた時は落ち着いてホッとしました。

前回の例大祭では、新しく竣工したビルなども巻き込んで渡御を行ったと伺いました。今回はどのようなルートで回られたのでしょうか?

千鳥担ぎ

千鳥担ぎPhoto by Nao Nagatsuka

前回は東宝ビル、特にホテルグレイスリーの正面入り口の中を通らせていただいて渡御をしたというのがありましたが、今年も新しく開業されたVR SHINJUKU、アパホテルさんを通るようなルートを考えました。基本的には自分が働いている場所の前に来た時に、皆さんにも華棒(神輿の一番先頭)を担いでいただいています。熊野神社の千鳥担ぎは、華棒を肩に乗せるのでなく、首の後ろに乗せて両手で支えるという独特な担ぎ方をするので、そこが非常に見栄えがして華やかなところでもあります。

Photo by Daisuke Takamura

世代交代とのお話がありましたが、渡御長を引き継がれてから一番心を砕かれたのはどのようなことでしたか?

長い間渡御長を務めていらした佐藤清さんの下、何年間か副渡御長をさせてもらっていたのですが、その頃は、正直担ぎ手は知らない人が多かったんです。町会の人がどんどん減っていったこともあり、同好会の方々に助けていただいて担いでいたこともあってありがたいのですが、地元の人たちが力を持っていないお神輿に正直僕には見えてしまったんですよね。

隣町など他の地域の祭りにも参加させていただく機会があったのですが、地元の力が弱まっているところは同好会がすごく盛り上げてくださるのですが、賑わいがその日だけになってしまうんです。それが少し寂しいと感じていました。それで渡御長を引き継いだ時に「若い人をもっと増やしたい」と思って、飲みに誘ったりとにかくどんどん声をかけたりしたんですね。

Photo by Daisuke Takamura

僕らの親父世代は実際、歌舞伎町に住んでいました。僕の親父もそうですけど皆さん、小学校、中学校の先輩後輩だったりするわけです。でも今は住んでいる人もいないし、僕らも20代後半、30代と大人になってから初めて出会うような状況です。ですから「住んでいる人」ではなく「この街で働いている人」に声をかけ、その人たちに参加してもらい、仲間が増えていきながら、もっと歌舞伎町を好きになってもらえたらという思いが強くありました。

新悟(柴本さん)も最初はお店の従業員を何人か連れて来てくれて、めちゃくちゃ楽しんでくれて。祭りに参加していると、誰かが「あそこに面白い奴がいるから行ってみたら。ここにこういう人がいるから会ってみれば」と教えてくれるんです。楽しくしたい一心で集めていたので、噂を聞けば会いに行ったり、声をかけて飲みに行ったり、本当に良く祭りに誘っていましたね。それと、苗字でさん付けで呼ぶのをやめました。時間もかけていられないし、その方が仲良くなれるかなと思って、すぐ呼び捨てにしていました。

Photo by Daisuke Takamura

振興組合にも所属していましたが、僕が当時30代半ばくらい、他の方はみんな50代半ばから上のような感じだったので、僕が何か言うと「いいよ、やってみて」という空気もあったんです。若手を集めて活動したいなど、相談して随分助けていただきましたし、諸先輩方といい関係を持ちながら、若手が増えていったように思います。

今では祭りの日に限らず集まれるような間柄です。祭りは本当にいろいろな職種の方が集まってみんなが仲間になれる場所です。祭りをきっかけにして普段なかなか繋がらないようなところが繋がってもらえれば、活性化に繋がるとも思ったんですね。

杉山さんも、片桐さんの誘いで初めて祭りに参加されたのですか?

僕自身生まれ育ったのは新宿区ですが、地元の学校に通っていたわけでもなかったので全然祭りに参加したことはなかったんです。ただ学生時代、歌舞伎町という街は面白いなと思っていました。ちょうどその頃、親父から歌舞伎町に「よくしよう委員会」(委員長は片桐さんの父・基次さん)というのがあるから行ってみれば、と聞いて参加してみたのですが、24歳の僕が最年少でそこも他に若い人がいなかったんですね。

当時、歌舞伎町でもよく飲んでいたんですけど、どうも昼と夜では街の風景が違うと感じていました。昼間の社会でいうと、早稲田の大学院生で、フェンシング女子の日本代表で、歌舞伎町の杉山さんとこ(すずや)のお子さんで、とお会いしていただける方たちがいる。でも夜の街で飲んでいると「あんたどこのオナベちゃんなのよ、あんたも大変ね」なんて言ってかわいがってくれる飲み屋の人がいて、昼は昼、夜は夜みたいになっていたんですね。そういう昼と夜がもうちょっと一緒に何かできるようなことがあったら面白いんじゃないかな、とは漠然と思っていました。

Photo by Daisuke Takamura

僕にとってはキーパーソンになるような人との出会いの年でもあって、(手塚)マキ君と知り合ったり、彼とグリーンバードという団体に参加したりしたことがきっかけで、歌舞伎町でも清掃活動を始めるなど動いていました。

「掃除」しかしていないんですけど、次第に「とりあえずグリーンバードに参加すると街のこと聞けるみたいよ、街のことよく知っている関係者がいるみたいよ」と、歌舞伎町へ行ったことはないけれど行ってみたいと思っていた人や、ホストといったさまざまな人がそこに集まるようになったんですね。吉本興業が新宿に会社を設立された時も、芸人と一緒に清掃活動を行いましたし、清掃活動はきっかけ作りとしてコラボレーションしやすいんですよね。いろいろなメディアの人も来たし、街に興味がある人、LGBTとか何かしら生きづらさを抱えている人も来る、そんなカオスがあって、街とつながるきっかけみたいなものになったと思います。

真介(片桐)さんとも、そんな清掃活動中にばったり道で出会ったのがきっかけです。よく飲みに誘ってくださって、お祭りの話を聞いた時も、「そんなお祭りあるんですね、わかりました、行きます!」みたいな感じで担ぎ手として参加しました。伝統とか担ぎ方とかよくわからなかったけれど、本当に楽しくて、「こんなに楽しい祭があるのになんで知らなかったんだろう、早く言ってよ」って思いましたね(笑)

歌舞伎町睦で初めて渡御長を務められて、いかがでしたか?

とにかくお前しかいないんだよって言われて(笑)できるかできないかは別としてやります、と。やるからには盛り上げようという気持ちで引き受けました。真介さんに身振り手振り細かいレクチャーをしていただいて。

街に出て実際のルートを2人で、本番のように後ろ向きになってずっと歩いたんですよ。でも、祭りの前々日くらいに、実は彼1人でも自主練していたんです!

イメトレ大事だな、と思って。例大祭当日は、ただただ面白かったですね。「みんなでやろうぜー」と人前で声出して盛り上げる、というのも全然嫌いじゃないし、前方からずっとみんなが楽しそうに担いでいるのを見られるので、担いでいた時以上に面白かったかもしれません。

杉山文野さん

杉山文野さんPhoto by Daisuke Takamura

違った視点から感じたこともあって、神輿ってすごく伝統的なものですが、トランスジェンダーの自分が渡御長を務め、副渡御長がホストというのも歌舞伎町ならではなのかな、というのが面白いと思いましたね。男性が表に立って人をもてなし、女性は裏方を務める、時代が違えば女性が座ることも許されなかったような非常に伝統的な風習もあったような神事で、自分が花形でもある渡御長をやらせてもらったこと、そして自分が渡御長をやることで「私たちも参加して大丈夫だよね」とほかのトランスジェンダーの人たちが参加してくれること、そうしたことがこの街の懐の深さなのかなと思うと、面白いと感じたのです。

伝統ある祭りを絶やすことなく引き継いでいく、そのモチベーションというのはどういったことなのでしょうか?

とにかく「楽しい」ということですよね。周りに知っている人が増えれば、楽しさも増します。いろいろな商売をやられている方がいるので、祭りをきっかけに実際に会ってお話しして、あちこちに知り合いが増えると、普段から気軽に行き来しやすくなりますよね。

街って企業がビルを建てるだけでは発展しないと思っています。街の人間が楽しんで、働いている当人たちが街を好きになってくれたらと思いますし、僕もこの祭りがみんなにとって自分の街を好きになるきっかけになったらいいなと思ってやっています。

Photo by Daisuke Takamura

住んでいる地元のつながりって、ある人はあるかもしれないけれど、意外となかったりしますよね。僕自身も歌舞伎町の今あるこうしたつながりが、地元のつながりにも似て、自分たちの街なんだということを感じさせてくれます。仕事仲間や友達というのともまた違った、仲間意識のようなものを感じます。

僕はルーツといったものも好きなんですけど、お祭りに関わることで、新宿の各睦の年配の方々から「昔、お前のところのじいちゃんとマージャンずっとやっていたんだよ」など、話を伺う機会もあります。神輿がスタートする弁天様についても、子供の頃、華ちゃん(歌舞伎町を作ったと言われる鈴木喜兵衛氏の長男の妻で、文野さんの祖母)が「弁天様は大事にしなさいよ、歌舞伎町の大事な場所だから」って言っていたな、と思い出したりするんです。そういうルーツみたいなのがあって、ただ僕単体なのではなく、家族とかいろいろなものが合わさってつながっている「仲間」という感じがして、そういうことも含めて、祭って面白いな、と思います。

Photo by Daisuke Takamura

来年、そしてこの先、祭りを牽引していくお立場として、どのような思いでいらっしゃいますか?

まだまだ歌舞伎町睦は過渡期です。例大祭で他の睦も見せていただいたのですが、青年部たちに一体感がありその一体感でみんなが盛り上がっているところもあったので、僕らもそうしたところを目指していけたらと思います。

今回奉賛会に参加して、打ち合わせを重ねたり、資料を頭に入れたりして当日を迎えました。その経験から思うことは、神輿の運行に対しての全体像を把握しているスタッフが増えることが活性につながると感じました。

他町会は、そうした方が多かったと思います。年数や経験などもあると思うんですが、御輿をスムーズに先導したり、上手に担ぎ手を誘導したり、曲がりを修正するなりスピードを修正するなり、阿吽の呼吸でできる人たちがきちんといるということが必要になってくると思います。

柴本新悟さん

柴本新悟さんPhoto by Daisuke Takamura

そういう人が増えたら、新しく入ってくる人たちは不安がなく入ることができてより楽しめる、というところにつながっていくと思います。

本来、祭りとは神様を渡御して街中に行き渡らせるようにすることで五穀豊穣を願う、内向的な神事です。でも人通りの多いところはやはり見栄えがして盛り上がる、そこが少し伝統とは違うところなのですが、歌舞伎町は本当に恵まれていてギャラリーが多いので、特にここ何年かはすごく盛り上がるんですよね。

歌舞伎町で担いでいる人達の写真を見ると、みんな笑顔なんです。だから我々も歌舞伎町に来るとすごく楽しいなと思います。みなさんに見てもらいたいという思いは最近とてもありますし、見てもらったり写真を撮ってもらったりして、こんなお祭りを歌舞伎町でやっているんだよ、と発信していけたらそれも良いだろうと思っています。

Photo by Daisuke Takamura

この街との関わりはずっと変わらずだと思うので、10年、20年、その先まで変わらず仲間を増やしながら、楽しい街にしていけたらと思います。アジア一の歓楽街といったイメージも強いので、祭りそのものや、歌舞伎町にこうした街のつながりがあることを話すとみんな驚きます。世界から見ての歌舞伎町と地元の街のつながり、それが両輪だと思っているので、対外的な発信も含めて両方が盛り上がりながらいい街になっていければ、いいのではないかと思います。

祭りを続けていこうとする使命感の根源は、やはり街に関わって商売をする人たちがこの街の環境をどれだけ向上させようか、というところから始まっていると思うんですね。祭りに入ってくる人の中には、もちろん止むを得ず抜けていく人もいると思いますが、そうした繰り返しの中で、僕たちのように街のことを考える人が増え、祭りに参加してみようという人が出てきたり、参加した人たちが街をよくしようと思ったり、伝統を理解する人たちが増えたり、そんな積み重ねがあればいいと思っています。コアなスタッフが育ちつつ、取り巻きが増えていっているような今の状況が続けばいいかなと思います。

Photo by Daisuke Takamura

今、若手が多くいるので、その層に厚みがあるのは財産ですね。

虎屋の社長が「伝統があるからこそ変えていいんだ」といったようなことを話されていて、なるほどと思ったことがあります。何もベースがないのに変わっていくとよくわからなくなってしまうけど、基となるベースがあって、伝統とかつながりといった揺るがないものがあれば、むしろ、それさえあればどんどん変わっていくのがいいのではないかと思うんです。正解はないと思うので、変わる時により良き変化になるように、街の人間がしっかりと街のことを見て、いい意味で街に口出しして、いい方へ変化していけるようにみんなでできたらいいのではないかな、と思います。

Photo by Nao Nagatsuka

Photo By Daisuke Takamura