新宿の歌舞伎町シネシティ広場に隣接するエリアにはかつて映画館、スケートリンクを有する「新宿東急文化会館」として1956(昭和31)年に開業し、後に「新宿TOKYU MILANO」の名前で映画や、ボウリングなどさまざまな娯楽を提供してきた建物が、2014(平成26)年に閉館するまでの約60年にわたり、存在した。
現在、その跡地を中心とする約4600平方メートルの敷地で、東急株式会社と株式会社東急レクリエーションが事業主体となった、「歌舞伎町一丁目地区開発計画(新宿TOKYU MILANO再開発計画)」が進んでいる。
東京圏国家戦略特別区域における国家戦略都市計画建築物等整備事業として、東京都および新宿区の都市計画審議会による審議、国家戦略特別区域会議による区域計画案の作成を経て、2018年6月に内閣総理大臣による認定を受けた開発で、2019年8月に本格着工した。2022年には地上約225メートルの高層複合施設が誕生する。
「宿場町からグローバルツーリストの目的地へ」をコンセプトに掲げる東急株式会社 開発事業部の田島邦晃さんは「もともと江戸時代に人や物が行き交い栄えた、新宿のルーツとも言える宿場町『内藤新宿』が発想のきっかけとなっている。宿場町にあった本陣/旅籠、酒食ほか諸商い、芝居小屋の姿は、現代の繁華街にあっては、宿泊施設、レストラン、ライブハウスやクラブ、商業店舗へと姿が移り変わった。今後国際都市東京として発展していくために『観光』を1つのテーマに、繁華街の中にもう一つ街の核となるような都市観光の拠点を作り、その拠点と街なかを人やモノが循環するような仕掛けを作れたらと考えた」と振り返る。
同エリアは戦後、歌舞伎町町会長だった鈴木喜兵衛が、歌舞伎座誘致を計画するなどエンターテインメントを中核に据えたまちづくりを考えた歴史的背景もある。「広場を囲んでパビリオンが並ぶ東京産業文化博覧会が行われたり、劇場街が形成されたりしてきた歴史的な背景にも運命のようなものを感じる」と田島さん。
新たに建つビルは地上48階、地下5階で、飲食店などのほか、8〜11階に約850席を有する劇場、12〜15階に約8スクリーンの映画館、17〜47階にホテル、地下1〜4階には最大スタンディングで約1500人を収容するライブホールを配置する。田島さんは「まちの社交場となるようなレストランも整備するほか、歌舞伎町特有の地域文化の体験機能も持たせたい。エンターテインメントとホテルが連動し、今後活況が期待されるナイトライフエコノミーをリードしていけるような、歌舞伎町の象徴のような施設になれれば」と話す。
外装デザインは「2020年ドバイ国際博覧会」日本館のデザイナーにも選ばれた永山祐子さんが手掛ける。
歌舞伎町の名前の由来にも繋がる「歌舞伎踊り」を出雲国の阿国という女性が踊り始めったということもあり、女性の建築家による指名コンペにて決定した。
また、シネシティ広場に面し、約200㎡の屋外ビジョンや屋外ステージも整備することで、シネシティ広場と一体となった映画イベントや地域と連携した音楽イベントを行うなど、まちのにぎわいの創出を目指す。更に、1階には空港連絡バスの乗降場を設け、成田・羽田空港からダイレクトにつながるバスルートを形成し利便性を高めるほか、新宿〜大久保エリア間の回遊性を高めるための新宿職業安定所前交差点の改良や、西武新宿駅前通りのリニューアルなども併せて行う。
2022年にちょうど創業100周年を迎える東急株式会社。「多様な大衆娯楽文化を世界に発信する複合エンターテインメント施設として、まちと一体となって人やモノ、コトが循環し、歌舞伎町全体のにぎわいにつなげていきたい」と意気込みを見せる。
写真提供(永山祐子さんを除く):東急株式会社・東急レクリエーション