2020.02.17
「内藤新宿」が廃宿の令から54年ぶりに再開した1772(明和9)年は、江戸の街が「明和の大火」に見舞われたこともあり、良き年に変えようと元号が年中に「安永」に変わった年でもあった。時は十代将軍、徳川家治の頃のことである。 当時、大都市江戸を取り囲む近郊は農村地帯であったが、内藤新宿一帯は水利の悪い高台の土地が多く水田は少なかったという。とりわけ、歓楽街としての活況を取り戻していった内藤新宿は旅籠屋もっと読む
2019.05.29
これまでこの新宿街史のコラム1、2で辿ってきた宿場町「内藤新宿」の歴史。少し寄り道をしてコラム3では「歌舞伎」の起こりについて、コラム4では「十二社 熊野神社」の創建について見てきたが、今回は歩みを進め、廃宿になった「内藤新宿」のその後を辿ってみたい。 1699(元禄12)年に開設され、徳川吉宗が八代将軍であった1718(享保3)年、わずか20年足らずで廃宿の令が出た内藤新宿。この年、「江戸から1もっと読む
2018.10.19
「十二社熊野神社」創建の歴史 中野・新宿西側一帯を切り開いた一人の男の物語 本サイト「Special2」では新宿の西口エリアに建つ「十二社(じゅうにそう)熊野神社」が秋に行う例大祭についてご紹介した。歌舞伎町という一大歓楽街で行われている、昔ながらの神輿渡御(みこしとぎょ)の模様など、ぜひ一読していただけたらと思う。 実は歌舞伎町エリアは、十二社熊野神社のほかに、花園神社、稲荷鬼王(いなりきおう)もっと読む
2018.03.27
江戸三大娯楽の一つ「歌舞伎」の始まりとは 「新宿」という名の由来となった幕府認可の公的宿場「内藤新宿」が開設されたのは1699年。当初から賑わいを見せていたこの宿場町が20年足らずで一度廃宿になるに至った経緯は、前回のコラムを読んでいただければと思う。 1772年に業務再開が命じられた「内藤新宿」は以降、各街道の中で、それぞれ圧倒的な数の旅籠を有した東海道品川宿、中山道板橋宿、日光道中千住宿ともっと読む
2017.07.19
江戸の四大宿に踊りでた「内藤新宿」が、20年足らずで廃宿になった理由とは 1603年に徳川家康が江戸に幕府を開いてから、ゆうに100年は経とうかという5代将軍綱吉の頃になって、ようやく開設された宿場「内藤新宿」。 「新宿」の名前の由来を辿れば300年前に生まれたこの宿場町にいきつき、同時に、すでに現在の一大繁華街としての賑わいの萌芽がそこに感じとれることは、前回のコラムに記した通りだ。 浅草商もっと読む
2017.07.18
江戸の歓楽地として繁栄した「内藤新宿」—「新宿」の名が生まれるまで 近年、364万人という「世界一の1日あたり乗降客数」がギネスにも記録された巨大ターミナル新宿駅。その西側には都庁を始めとする高層ビル郡が、東側には歌舞伎町など数多の飲食店、商業施設に娯楽施設が立ち並び、新宿は東京を、いや日本を代表する一大観光都市、歓楽街として活気を見せている。 そんな「新宿」の名前は、遡ること約300年前の江もっと読む