2022.11.29
現在、新宿・歌舞伎町では同エリアで最も高い225mを誇るホテルとエンタメ施設からなる超高層複合施設「東急歌舞伎町タワー」の建設が進んでいる。2023年4月14日(ホテルは5月19日)に開業するとの発表に続き、施設内の劇場「THEATER MILANO-Za」で催される世界的な演出家、振付家のシティ・ラルビ・シェルカウイ氏によるこけら落とし公演「舞台・エヴァンゲリオン Beyond」(仮)や、『エヴもっと読む
2022.02.17
新宿の街の歴史を辿る「新宿街史」。その始まりは徳川家康が江戸入りした際、先陣を務めた武将・内藤清成が現在の新宿一帯の土地を拝領、やがて江戸城への物流ルートとして人や物の行き来が増えた追分(現在の新宿三丁目界隈)に自然発生的に生まれた「内藤宿」にルーツがある。 浅草商人である高松喜兵衛らがその立地と賑わいに目をつけ、幕府から宿場開設の許可を得たのは江戸幕府成立から約100年経った1699(元禄12)もっと読む
2021.07.20
歌舞伎町はどのようにして生まれた街なのか、戦後まったく新しい町名を冠して誕生した経緯は、コラム「歌舞伎町の誕生を伝える『歌舞伎町建設記念碑』」でも紹介した。数々の困難を乗り越えて実現したこれまでにない形の街であったが、実はその歴史の始まりに、幻の計画があったことはあまり知られていない。それが「国際百貨店設立計画」である。 歌舞伎町のまちづくりを計画し推し進めた鈴木喜兵衛が、歌舞伎町建設報告としてまもっと読む
2021.03.12
「新宿東宝ビル」の目と鼻の先、路地を少し入ったところに「歌舞伎町公園」という名前の小さな公園がある。真ん中に敷かれた石畳を進んだ先にはお堂があり、「歌舞伎町弁財天」が祀られている。 お堂の前に立つ石碑には「弁財天の縁起と歌舞伎弁天の由来」が刻まれているが、これは戦後に「歌舞伎町」という街が誕生する以前のこの土地の歴史を伝えてくれるものである。 「弁財天」は、その碑文の冒頭に記されているように「宇賀もっと読む
2020.02.17
「内藤新宿」が廃宿の令から54年ぶりに再開した1772(明和9)年は、江戸の街が「明和の大火」に見舞われたこともあり、良き年に変えようと元号が年中に「安永」に変わった年でもあった。時は十代将軍、徳川家治の頃のことである。 当時、大都市江戸を取り囲む近郊は農村地帯であったが、内藤新宿一帯は水利の悪い高台の土地が多く水田は少なかったという。とりわけ、歓楽街としての活況を取り戻していった内藤新宿は旅籠屋もっと読む
2019.05.29
これまでこの新宿街史のコラム1、2で辿ってきた宿場町「内藤新宿」の歴史。少し寄り道をしてコラム3では「歌舞伎」の起こりについて、コラム4では「十二社 熊野神社」の創建について見てきたが、今回は歩みを進め、廃宿になった「内藤新宿」のその後を辿ってみたい。 1699(元禄12)年に開設され、徳川吉宗が八代将軍であった1718(享保3)年、わずか20年足らずで廃宿の令が出た内藤新宿。この年、「江戸から1もっと読む
2018.10.19
「十二社熊野神社」創建の歴史 中野・新宿西側一帯を切り開いた一人の男の物語 本サイト「Special2」では新宿の西口エリアに建つ「十二社(じゅうにそう)熊野神社」が秋に行う例大祭についてご紹介した。歌舞伎町という一大歓楽街で行われている、昔ながらの神輿渡御(みこしとぎょ)の模様など、ぜひ一読していただけたらと思う。 実は歌舞伎町エリアは、十二社熊野神社のほかに、花園神社、稲荷鬼王(いなりきおう)もっと読む
2018.03.27
江戸三大娯楽の一つ「歌舞伎」の始まりとは 「新宿」という名の由来となった幕府認可の公的宿場「内藤新宿」が開設されたのは1699年。当初から賑わいを見せていたこの宿場町が20年足らずで一度廃宿になるに至った経緯は、前回のコラムを読んでいただければと思う。 1772年に業務再開が命じられた「内藤新宿」は以降、各街道の中で、それぞれ圧倒的な数の旅籠を有した東海道品川宿、中山道板橋宿、日光道中千住宿ともっと読む
2017.07.19
江戸の四大宿に踊りでた「内藤新宿」が、20年足らずで廃宿になった理由とは 1603年に徳川家康が江戸に幕府を開いてから、ゆうに100年は経とうかという5代将軍綱吉の頃になって、ようやく開設された宿場「内藤新宿」。 「新宿」の名前の由来を辿れば300年前に生まれたこの宿場町にいきつき、同時に、すでに現在の一大繁華街としての賑わいの萌芽がそこに感じとれることは、前回のコラムに記した通りだ。 浅草商もっと読む