新宿街史7
再開発とともに変貌する新宿のスカイライン

2022.11.29

現在、新宿・歌舞伎町では同エリアで最も高い225mを誇るホテルとエンタメ施設からなる超高層複合施設「東急歌舞伎町タワー」の建設が進んでいる。2023414日(ホテルは519日)に開業するとの発表に続き、施設内の劇場「THEATER MILANO-Za」で催される世界的な演出家、振付家のシティ・ラルビ・シェルカウイ氏によるこけら落とし公演「舞台・エヴァンゲリオン Beyond」(仮)や、『エヴァンゲリオン』ファンに向けてホテルの1フロアをジャックした「LIFESTYLE HOTEL EVA」など、コンセプトである“好きを極める”施策第一弾の企画も明らかになってきた。

「東急歌舞伎街タワー」外観

歌舞伎町をはじめ新宿はここ数年、再開発が顕著化しあちこちで建て替えや新たな施設の建設が進んでいる。江戸時代に宿場町として形づくられ発展した新宿ではあるが、当時にぎわいをみせていた中心地から少し離れていた駅周辺は、明治時代まで農村地帯が広がっていた。歌舞伎町は川や池のある湿地であったし、西口エリアに建つ熊野神社にも池や滝があり、人々が水浴びに訪れるような行楽地だったという。
最初の大規模な開発は戦後復興期であろう。いち早く進められたのは、現在の歌舞伎町の原型となっている「興行街を中心にした」歌舞伎町のまちづくりだ。西口エリアは1965(昭和40)年、淀橋浄水場移転をきっかけに新宿副都心としての開発が進み、1971(昭和46)年の京王プラザホテルを皮切りに超高層ビルの建設が続いた。
それら多くの建物が築50年以上の時を重ね、老朽化や耐震などへの対策、新しい時代にふさわしいコンセプトを持った施設にリニューアルを図るべく、「再・再開発」されているのである。

2015(平成27)年、歌舞伎町のコマ劇場跡地に完成したホテルとシネマコンプレックスを設けた新宿東宝ビルの完成も街の風景を一変させた。ゴジラが顔を覗かせるビルは、海外からの観光客をも惹きつける街のシンボルともなった。
2016(平成28)年にその名前を「歌舞伎町シネシティ広場」と決定した広場を挟んで建つ「東急歌舞伎町タワー」は、成田・羽田両空港とダイレクトにつながる空港連絡バスの乗降所も造られていて、文化発信拠点と共に新たな都市観光の拠点として期待が高まっている。

「新宿東宝ビル」外観 資料提供:東宝株式会社 ©TOHO CO., LTD

西口エリアでも、小田急電鉄株式会社と東京地下鉄株式会社(東京メトロ)による新宿駅西口地区開発計画がいよいよ始まったところだ。小田急百貨店新宿店本館がこの10月、55年の歴史に幕を閉じ、隣接する小田急ハルク内に移設しリニューアルオープン。モザイク通りを含む新宿ミロードも2023年に営業が終了し、跡地にはハイグレードなオフィス機能、新たな顧客体験を提供する商業機能、来街者と企業双方の交流を促すビジネス創発機能などを備えた地上48階の複合施設の建設計画が2029年の完成を目指し進められている。

新宿駅西口地区の開発計画 計画建物イメージパース(西側から計画建物を望む)

駅の目の前に建つ明治安田生命新宿ビルも複合ビルへの建て替えを目指し、20218月に「(仮称)西新宿一丁目地区プロジェクト」を着工した。明治安田生命保険相互会社が推進、森ビル株式会社がプロジェクトマネジメントに参画するもので、周辺建物と合わせ事務所、店舗、ホールなどが入る地上23階、地下4階のビルが202511月に完成する予定だ。

「(仮称)明治安田生命新宿ビル」外観イメージパース

西南口方面では、京王電鉄株式会社と東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)が事業主体となり、小田急などをはじめとする西口エリアと連携しながら将来的に店舗や宿泊施設、事務所、駐車場などの高層ビルを建設する計画があるという。甲州街道を渡れば2016(平成28)年にオープンした、全国39都道府県300都市を高速バスでつなぐ巨大バスターミナル「バスタ新宿」や「新宿高島屋タイムズスクエア」、東南口にかかる新宿駅の高架下には観光案内所やフードショップ、イベントスペースを備えた空間が広がり、これらが新たなビル群と直結しながら未来の街を形成していくにちがいない。

新宿駅西南口地区開発計画で予定する建物の外観イメージ

こうした東西南北、各エリアでの開発はどれも「新宿の拠点再整備方針〜新宿グランドターミナルの一体的な再編〜」(2018年)に貢献し、互いに連携してこれを実現しようと進められているものである。この前年に東京都と新宿区がまちづくりの方向性について策定した「新宿の新たなまちづくり〜2040年代の新宿の拠点づくり〜」に先行して進める、駅直近地区のまちづくり再編についてまとめたものだ。

20207月に完成した、新宿駅構内をはしる東西自由通路の完成は「新宿グランドターミナル」実現に向けての起爆剤となった。実は、整備に向けて初めて調査検討が行われたのは1972(昭和47)年で、1980(昭和55)年に整備などに関わる同盟が発足して以来、なんと40年にも渡る長い推進運動の末、工事着手から約8年かけて完成した、街にとっても悲願の通路だったという。東西エリアの回遊性が高まったことで「人」を中心に据えた、駅や駅前広場、駅ビルなどが一体となった新宿駅周辺の再編は大きく前進しようとしている。

「新宿グランドターミナル」計画では、新宿のまちの特性を「多様な都市機能が高度に集積した抜群の拠点性」と記した上で、「誰にとっても優しい空間がまちとつながり、さまざまな目的をもって訪れる人々の多様な活動にあふれ、交流・連携・挑戦が生まれる場所」を目指す、と掲げている。
「交流・連携・挑戦」がイメージするのは「世界とつながる街・常に何か新しいものと触れ合える街・ビジネスもカルチャーも観光も多くのニーズにこたえる街」、そんな新宿の街の姿だ。

将来的には新宿駅の線路上空に東西南北を立体的に繋ぎ、歩行者が自由に街を回遊できる、まるで「空中都市広場」のようなデッキの新設も計画にあるという。このメディアで取材してきた中でも「歌舞伎町の街の頭上にモノレールを作って、いろいろな街の姿を上から見て回れた遊園地みたいで楽しいかもしれない」といったお話や「(高層ビル設計の過程で)非日常の異次元から都市を見下ろしているような『歌舞伎町の上空に浮かぶリゾート』が思い浮かんだ」といった空中構想につながるお話が出てきたのは印象的だった。

地下からエネルギーが湧き上がるような、まるで噴水のようなデザインを施した「東急歌舞伎町タワー」をはじめ200mを超える高層ビルが増えつつある新宿で、さまざまな人々が行き交い、毎日なにかしら発見がある街のグランドレベルと合わせ、少し高い場所から見渡す新宿の景色はどんなものになるのだろうか。今後の街の移り変わりが楽しみである。

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