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  • 新宿停車場 明治44年頃 明治44年頃
  • 青梅街道を行く荷馬車と西武鉄道軌道線の電車 大正12年頃 大正12年頃
  • 伊勢丹屋上から千駄ヶ谷方向(元都立新宿高校) 昭和8〜10年頃 昭和8〜10年頃
  • 新宿駅前を行き交う人々 昭和27年頃 昭和27年頃
  • 都電 新宿駅前 昭和30年代 昭和30年代
  • 角筈ガード 東口川入り口 昭和42年頃 昭和42年頃
  • 歌舞伎町一番街 昭和47年頃 昭和47年頃
  • 新宿ゴールデン街 昭和51年頃 昭和51年頃
  • 歩行者天国・高野前付近 昭和62年頃 昭和62年頃

(一部)資料提供先・所蔵先 新宿歴史博物館

2030

世を騒がす「かぶき者」たちへ

1.

1590年北条氏を滅ぼした豊臣秀吉は、
徳川家康を関東の新領主に命じた。
その家康に江戸西側の広大な土地を拝領されたのが、
家康の鉄砲隊を率いた武将・内藤清成であった。

2.

新宿発展の歴史は江戸から始まる。
江戸城建設のため石灰などの資材を運ぶため、
1606年に青梅街道が開設されると、
甲州街道との合流点となった追分(現在の新宿三丁目交差点)は、
次第に人馬であふれるようになっていった。

3.

現在も残る「太宗寺」のある周辺
(現在の新宿二丁目あたり)には、
やがて自然発生的に茶屋や旅籠のたぐいができはじめ、
宿場にも似た形を成していった。

4.

そして、 この内藤家の下屋敷近くにできあがったその一帯は、
やがて誰ともなく、その立地から、
「内藤宿」と呼ばれるようになったのだった。

5.

時がたち、江戸には華やかな文化が開いていた。
交通や行政が整い、
江戸の需要を目当てに農産物や食料を供給する道として、
甲州街道、青梅街道と賑わいを増していた。

6.

この賑わいに目を付けたのが、浅草の商人だった。
1697年、浅草の名主・高松喜兵衛は、
内藤町の賑わいに目を付け、
甲州街道沿いの新たな宿場設立を幕府に申し出た。

7.

宿場は、インフラとしての重要性とともに、
当時一大娯楽施設でもあった。
喜兵衛は、高松喜六と名を改めこの宿の初代名主となり、
街道を整備し幅五間半(約10m)とし、
両側に家作地を造成、町政を行うこととなった。

8.

こうして、四谷大木土門外(現四谷四丁目交差点付近)から、
追分(現新宿三丁目交差点付近)までの約1.2Kmに、
甲州街道の新たな宿場が誕生した。
この宿場は、すでにできあがっていた自然発生的な内藤宿に対して、
正式に「内藤新宿」と呼ばれるようになる。「新宿」の名はここに始まった。

9.

そして、今に至るまで、「新宿」は、
たえず人々の賑わいと需要に応じて、
インフラを発展させ、
一大娯楽施設としての機能を変貌させてきた。

10.

宿場は町になり、町は街になった300年。
そこに集い、にぎわう人々たちからは多くの文化が生まれた。
しかし、そこにはあの時代からずっと変わらない人々の流儀があった。

11.

「かぶく」という言葉がある。
歌舞伎の語源になったこの言葉は、
「異風」を好み、華やかで多様、
ときに常軌を逸した人の行動や風体をあらわすものだ。

12.

この街の人々は「かぶく」ことさえ「粋」ととらえ愛してきた。
それが、この街の「流儀」だ。
「歌舞伎町」という名のエリアを持つこの街は、
多くの「かぶき者」を産み、またみなその者を愛してきた。

13.

今や「一日の乗降客数364万人!」を誇る「新宿」は、
2007年ギネス世界記録登録されるに至った。
新宿は、日本を代表する一大ターミナルシティとして終わりのない発展を続ける、
世界一の宿場町なのかもしれない。産まれ続ける「かぶき者」とともに・・・。
さあ、かぶき者たちよ、ここに集い留まらず、世界に発信していこうじゃないか!!

14.

世界に向かって「かぶけ」!!
世を騒がす「かぶき者たちへ」

世を騒がす「かぶき者」たちへ

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