新宿の歌舞伎町シネシティ広場に隣接する、「新宿TOKYU MILANO」跡地を中心とする場所で「歌舞伎町一丁目地区開発計画(新宿TOKYU MILANO再開発計画)」が、現在進行中である。2019年8月に新築工事が本格着工し、2022年、新宿東口エリアで一番高い地上約225メートルの新高層ビルが完成する。
地上48階、地下5階にはホテル、映画館、劇場にライブホール、レストランなどが入る予定で、東京を訪れる外国人にとって新たな観光拠点となるだけでなく、日本人にとっても、昼夜問わず刺激的な楽しみに触れることができる新宿のランドマークとして期待が高まっている。
このビルの外装デザイナーに選ばれた永山祐子さんに、デザインへの思い、巨大プロジェクトへの意気込みを伺った。
まず、永山さんが建築家になろうと思ったきっかけはどんなことでしたか?
高校三年生の夏くらいにみんなで進路を話していた時に、一人の友達が「建築に行きたいと思っている」と話しているのを聞きました。それまでは、建築家を目指していたわけでなく、父が生物物理の研究者で当時バイオテクノロジーなども盛んだったりしたので、「生物」に進もうと思っていました。ミクロの世界のようなものに興味があったのですが、話を聞いているうちに、マクロ的な社会との共鳴性がある建築の世界の方が身体的にも興味があると思って。自分がいる身近な世界と自分のリアルな実体験みたいなものとがそのまま結びつくのが、どちらかというと建築のようなヒューマンスケールの世界観だなと感じたんです。
祖母づてに祖父が建築を志していた話を聞いていたり、家に建築関連の本があったり、そんな思い出もなんとなくよみがえってきて、急に建築へと興味がわき、進路変更しました(笑)
実際に建築へ進まれてみていかがでしたか?
学生の頃は出された課題を解くということを何回も繰り返すのですが、一つの課題には2〜3ヶ月を要します。仕事でも一つの建物を建てるには5〜6年といった時間が掛かります。そうした長いタームで物を作ることにおいて、「前の課題での至らないところが目についたり、最初の考えが古びたり新鮮さがなくなってしまったりするのではないか、自分の考えが途中で変わったりするのではないか」など、職業として選択することへの不安もありました。
その後「アトリエ系」といわれるような作家性を持ってやっている建築家の事務所にインターンとして入った時に、日毎にアイディアを更新させながら実現に向けてチームで動いているのを見て、やはりすごく面白い仕事だなと感じました。
今でも、自分が最初に立てたコンセプトや仮説のようなものを、日々リアリティを持たせながら実現する方向にどんどん進めていくのですが、新たな技術なども加わりながらイメージもより精度をあげて更新されていくので、そういう意味では出来上がった瞬間というのは最初にコンセプトをたて、仮説としての提案をあげ、様々な検討を繰り返しながらずっと続けてきた作業のゴールです。建築は実現するのにすごく時間と労力がかかりますが、そこまでのプロセスも、実はとても面白いなと思うんです。
今回、歌舞伎町の高層ビルのプロジェクトにはどのような経緯で関わることになったのでしょうか。
クライアントによる、全員女性建築家による指名コンペでした。女性建築家だけのコンペというのは、女性的な優しいビルがいいというクライアントの思いもあったようです。私の状況としては他のプロジェクトと合わせて3つのコンペの締め切りが重なり、スタッフ総動員、このコンペにはOBにも協力してもらって取り組まねば引き受けられない状況でしたが、超高層ビルには興味がありましたし、まさかそんなプロジェクトに関われるなんて想像もしていなかったので、決まったときには本当に嬉しかったです。まして、この新宿は本当に小さい時から親しんできた街でしたから。
小さい頃に見た新宿の街のイメージなど、何か印象に残っていますか?
阿佐ヶ谷に生まれ育ったので、小さい頃、「大事なものを買いに行く」といえば新宿でした。伊勢丹の印象が一番強くて、「階段のところにアンモナイトがいるんだよ」と母に教えられて探したり、大きくなってからは映画を見たりした場所です。私にとっては新宿は一番近い、一番親しみのある繁華街という感じです。
外装をデザインする際、どういったところにアイディアソースを求め、コンセプトを立てられるのでしょうか?
建築の場合、土地の持っているコンテクスト(文脈)というか「場所性」が大事と考えています。歌舞伎町というのは、日本の中でも特殊な場所だと思いますし、街が起こった経緯そのものも特殊なので、そういった歴史も調べ、それらからインスピレーションを得ていく作業をしました。
もうひとつ、今回は「新しいタイプの超高層ビル」という点も大きな要素としてありました。オフィスが入らず、ホテルのほか、劇場などのエンターテインメント施設を統合した超高層というテーマは珍しく、おそらく今までにもあまり多くはなかったと思いましたので、そういうものがどういうふうな建ち方をすればいいのかというポイントも、アイディアの源としてありました。
ある意味、街の中でシンボリックになるものを作ることになると思いましたので、コンペの段階では、「一つのモニュメントとしてどうあるべきか」ということを、いろいろと想像しながら考えました。もともとビルを作るにあたってクライアントからのイメージは「グランドホテル」だというお話をお聞きしてすごく合点がいったんですね。ヨーロッパのグランドホテルというと、ホテルというよりはどちらかというと社交場、コミュニティーの中心地としてあって、ちょっと背伸びしてご飯を食べにいったり、そこでパーティが開かれたり、さまざまな人が行き交っている場所です。今回のこのプロジェクトは、そうした大きなグランドホテルの構えで、例えば映画館であっても劇場であっても、それぞれが単体ではなく一つの意識を持った複合体の中の施設として、全てがビル全体に紐づき、そこならではの特別な場所になるように、と考えられていました。さまざまな要素からなる大きな文化拠点というものを、一つの世界観で作り上げていくのは、面白いと思いました。
「水」が建物のコンセプトになっていると伺いましたが。
いろいろ考えている中で、もともと歌舞伎町が沼地で水と関わりがあったこと、水に関係する弁天さまが祀られていて、女性の神様が見守っている場所だということから、その根源的な要素である「水」をデザインの起点にしようと思い立ちました。それと同時に、戦後民間で復興を遂げた歌舞伎町のキーマンである鈴木喜兵衛という方の物語を読む中で、下から湧き上がってくるような、ものすごい思いでこの場所が作られてきたことが伝わってきたんですね。そこでこれまで街を作ってきた先人たちの思い、この場所のパワーのようなものが勢いを持って「噴水」のような形で噴出し、新たなビルとしての形を作る、と私なりにイメージを膨らませました。
「噴水」というのは常に動いていて、固定化されていない、でも常に下から勢いがあることで形を作っています。固定した形ではなしに、何か状態、動き、勢いみたいなものが持続しながら、形を保っているというところが良いと思ったのです。
新宿西口の超高層群はどれもどちらかというとパワーの象徴のような、マッシブで強い形を持っていますが、歌舞伎町に建てるビルはそれらとは全く違った、どこか繊細で女性的な、ゆらぎを持って立ち現れているような、先人たちの思いに寄り添いながらも、マッシブとは対照的な柔らかい雰囲気のものになったらと思いました。
白く波打ったようなイメージ画が非常に目を惹きますね。
超高層はメンテナンスもなかなかできないですし、例えばサッシやガラスの性能など耐久性の観点からも、他の建造物に比べて規格自体も非常に厳しくなっています。私たちがこれまで手掛けてきたものは地上20メートル以下(6階建くらい)がほとんどなので、高さ10倍以上にもなる高層ビルに対して、起こりうるさまざまな問題などを技術的なサポートをする設計チームに協力していただきながら進めています。その中では意匠的に実現が叶わないものもあるため、日々イメージを更新しながら常に調整していくという作業をしています。
今回のビルでは、先ほどお話ししたように「噴水」をイメージして、どこか揺らいでいるような、固定化されていない、さまざまな表情を見せるデザインを目標として、最初のアイディアでは「結晶体」という言葉でビルを表現していました。ガラスで構成されているビルの意匠が昨今は多いのですが、超高層ビルのガラスは良くも悪くも反射を生みます。反射の光が遠くまで届いてしまい、それが公害にもなり得ます。今回は「水」そのものは使えないですけれど、それと同じような揺らぎ効果としてガラスの反射という特性そのものを使いながら、公害にならないよう丁寧に調整しながら全体を作っていきたいと考えています。外装ガラスに噴水や水しぶきといったイメージで特殊な印刷を施し、ガラスそのものも反射の仕方を変えるようにしています。結果、それがキラキラとクリスタルのように光る部分や、細かい水しぶきのように白濁している部分など水の細やかな表情を表現する意匠に仕上げたいと考えています。
コンペから3年、いよいよ工事も本格着工しましたがいかがですか。
「建築」は皆でアイディアを出し合い、全員が120%以上の力を出し合ってようやく完成するものだと思っています。それゆえにスタッフ全員に共通言語として持ち続ける、共感できるコンセプトというものがとても重要で、それがすべての作業に対して、ある意味エンジンになると感じます。
関わる人数が膨大なので、例えば建築チームとか近い人にはある程度伝わっていても、ビルの運営チームには運営チームならではの考え方と論理があって、なかなか両者の思いがデザインや設計に馴染まない部分が起こるなど、調整の苦労ももちろん過程には多々あります。それでも最初に思い描いたイメージに皆さんがすごく共感してくださり、その方向で行こうと動き、チーム全体にそのコンセプトが浸透してきているので、具体的にどういう形で実現して行くかということを、さまざまなチームと共に考えながら進めているところです。
歌舞伎町の中でとてもシンボリックなビルになりそうです。街の中での見え方など、意識されるところはどんなところでしょうか?
高いところに登ると、やはりこのビルがどんな風に見えるか意識しますね。先日も六本木ヒルズの展望台から街を見渡す機会があったのですが、かなり遠くからでも「あの辺に一本トーンと建つんだろうな。かなり目立つな、頑張らなきゃ」と、気が引き締まる思いでした(笑)
今東京で、そのエリアにポンと一つだけ建っている超高層ビルってあまりないんですね、新宿も渋谷もビルは群になっていますし。そういう意味では本当にこのビルはどこからでも見えるので、否が応でも勝手にシンボルになってしまいます。都市景観として関わる範囲がとてつもなく広く、様々な方角の景観の一部になります。それこそ中央線で毎日通学中に見る人がいたり、多くの皆さんの目に触れることになります。今までの作ってきたプロジェクトはメディアなどを通じて広く知られることはありますが、どこからでもリアルに見えるという意味で、ここまでの建物は初めてですし、特殊なシチュエーションの中にある建物だと思います。
「また、もともと歌舞伎町は歴史的にも、開かれた場所、市民の安全な遊び場というか遊技場を作りたいという思いで作られた場所なので、もう一度初心に帰るような意味で、そこに一つ起点としてこのビルが建てられるのは嬉しいことです。時代ごとにこの街の様相は変わってきましたが、今、「歌舞伎町ルネッサンス」ともいうような、クリーンで誰もが遊びにきやすい場所を目指すなど、現在進行形で街が変わろうとしているというところにも魅力を感じます。歌舞伎町が作ってきた他の場所とは違った文化などが育んできた部分もありますし、今までの経緯そのものを否定するわけでなく、あらゆる部分を含みながら、新しいこのビルがうまく街の中に活かされるようなものになっていったらいいなと思っています。
「建物」と「街」がひと続きとなって、街を盛り上げていくのですね。
まさにエリアとどう関わるか、といったことは建築のトレンドといいますか、重要だと考えられるようになってきていて、どちらかというとデザインそのものよりは、建物が「街とどう関わるか」「エリアに対してどういった効果を持てるか」など、実働的な部分や使われ方に重きが置かれるようになってきていると思います。それはそれでとても喜ばしいことだと思いますが、一方で「モノ」としても、きちんとシンボリックで、その場に合うデザインされた建築物であるということも重要だと思います。
「モノ」より「コト」と言われてから久しいですが、活動ということが物事の起点になるにつれ、建物とか物理的な「モノ」そのものに対しては、どちらかというと興味が薄い時代になっているのかな、と感じます。でも日本の伝統技術なども含め、建物やデザイン、「モノ」として立ち現れるもの、モノ作りそのものも重要視されるともっと良いと思っています。直近のオリンピックにおいては、ようやく出来上がりつつある「建築」という形あるモノに対して、みんなが良い悪い、好き嫌いと評価したり言い合ったりするような状況が生まれました。
そうした「かっこいい建物がたつとワクワクするよね」といった建築への期待度というのは、少し遡った前の時代にはあったと思うんです。過去のピークは「大阪万博」の頃かもしれませんが、当時はさまざまな新技術が誕生し、いろいろな形の建物を生み出すことが可能となり、さまざまな形の建造物が建ち始めました。その後バブル崩壊の影響などもあり、なかなか冒険できない時代になり、建物もコミュニティーに重点を置く時代へと移り変わってきました。今後建物は、「モノ」としての建築デザインと、街とのつながりを持った「コト」の両方とが、今回のプロジェクトのようにセットであると良いなと思います。
現在、私はドバイ国際博覧会の日本館のデザインなども担当させていただいておりますが、まさにパビリオンは「モノ」として何らかの象徴性が必要になります。この歌舞伎町のプロジェクトでも、建物が象徴的なデザインとしてあることが一つの意味を持つようなものを求められるので、その点はひときわ強く感じるところでもあります。
都内の別の街でも、エリアマネージメントとしてアートプロジェクトの開催に関わっておりますが、これからは各地域ごとに、「エリアに建つビル」、「その場所に関わる人」が一緒になって、さまざまな活動が起こり、街を盛り上げて行くような、「新しい形」が生まれてくるのではないかと感じています。
建築物は長く残り受け継がれていきます。今回のプロジェクトを通して、新宿の未来に期待されることはどんなことでしょうか?
建築って何かの「きっかけ」だと思うんですね。建築を一つのきっかけとして新しいことが起きたり、誰かが何かを考えるきっかけになったりするといいな、と思いながらいつも作っています。私も小学生の頃、家族と行った「新宿NSビル」がすごく印象に残っていて好きだったんです。初めてビルのアトリウムに入った瞬間、とても広く大きくて「はぁーなんだ、ここ!この吹き抜けの高さは何?」って、そのような空間が存在する都市スケールそのものにびっくりしたことを思い出します。これが今に至る一つの原体験と言えるかもしれません。
歌舞伎町の街自体はこれまでいろいろな変遷を経て今日に至っていますが、そうした過去やこれからの未来、それが渾然一体となって多様な状態であり続けられたら魅力的ではないかと思います。その中心に建つこのビルにおいても、完成した後も、環境と呼応し変化しながら建ち続けると思うのですが、このビルに遊びにきて私と同じように驚いて原体験を得るような子ども達がいるかもしれないですし、建物を活用する側が新たな使い方を提供していくかもしれないです。未来に向けて文化や、新しいコトが起こる場所として、使われるようになってくれると嬉しいなと思います。
永山祐子さんプロフィール
大学卒業後、青木淳建築計画事務所へ。2002年に有限会社永山祐子建築設計を設立。建築のほか、インテリアやプロダクトも幅広く手がける。【作品】「丘のある家(住宅・東京)」、「ルイ・ヴィトン京都大丸店(店舗・京都)」、「豊島横尾館(美術館・香川)」、「女神の森セントラルガーデン(ホール複合施設・山梨)」など。現在、ドバイ万博日本館(2020)などの計画が進行中。【受賞】AR Awards(UK)優秀賞、Architectural Record Design Vanguard(USA)受賞、JIA新人賞(2014)、山梨県建築文化賞、JCD Design Award銀賞、東京建築賞優秀賞(2018)など。