日本一敷居の低い文壇バー「月に吠える」

2018.05.07

新宿ゴールデン街は280軒ほどの小さな飲食店が密集している。個性豊かなバーが並び、作家などの文化人もよく集まる街としても知られている。街の一角には現役ジャーナリストが作った、日本一敷居の低いプチ文壇バー「月に吠える」(新宿区歌舞伎町1-1-10 新宿ゴールデン街G2通り)がある。「月に吠える」は、詩人・萩原朔太郎氏の詩集「月に吠える」が由来。文豪が集まると言われるこの街に、作家・編集者・ライターや、読書好きなどが集う場として2012年6月にオープンした。この文壇バーは、「日本一敷居の低い」というキャッチコピーも特徴的だが、運営方法も一風変わっている。どのようにお店は運営されているのか? フリージャーナリストでこの文壇バーのオーナーでもある肥沼和之さん(以下 肥沼<コエヌマ>さん)にお話を伺った。

新宿ゴールデン街に文壇バーをつくるまで

なぜ新宿ゴールデン街でお店を開こうと?

私は本が好きで、文学が好きで小説家になりたいという夢がありました。だから、中上健次、田中小実昌といった多くの歴史上の文学者が飲み歩いていた街、ゴールデン街はあこがれの街でした。新宿ゴールデン街は、一見でふらっとお店に入っても、知らない人が普通に話しかけてくるなど、面白い街だと思っていました。いつしかそんなところで、本をコンセプトにしたバーができないかなと考えていました。

初めて来たのは2007年から2008年のある日の夜でした。当時、一人で行く勇気がなかったので、物書き仲間と3人で来ました。その時、初めに入ったお店は、女性が一人で切り盛りするお店でした。私たちの他にお客さんはいませんでした。しばらくすると、どうやら常連らしき男性が入って来て、手にした寿司を女性店主に渡していました。しばらくすると、その寿司が、あたりまえのように私たちにも振る舞われていました。この街は人と人とがずいぶん距離が近い街なんだな、と実感しました。お店を訪れた当時私は吉祥寺に住んでいて、吉祥寺に飲みに行くことはあったけれど、吉祥寺では、別のお客さんが差し入れで持ち込んだ寿司が振る舞われるという経験はなかったので、こんな街があるのだなあ、という感慨を持ちました。

その後2009年から、フリーランスの物書きとして活動を始め、徐々に生活も安定してきたものの、物書き1本にも飽きていました。ライターの仕事で年間3日、4日しか休みが取れず、ほぼ毎日取材に飛び回る日々を過ごし、だんだん疲れも感じ始めました。そんなころ、飲食店を始めたい方に1日単位でレンタルスペースを提供している店舗を取材させていただきました。そして、そのレンタルスペースが面白そうだなと、友人と何回かお借りしてみたところ、これが楽しくて。このことも後押しして、ライター以外の仕事もいいな、と思い始めました。

なるほど、そしてお店を。「月に吠える」は、オープン当時の時代環境から考えると、珍しい形態のお店だったのでしょうか?

本と珈琲がテーマの、ブックカフェはありましたね。でも、当時、本とお酒というテーマのお店は、あまりなかったように思います。

バーを始めるにあたり、何か参考にされたものはありましたか?

かつてプロ野球球団「楽天イーグルス」を立ち上げたメンバーのお一人に、密着取材をさせていただいたことがあって。その方のお話しが印象的に頭に残っていました。その方は、「楽天イーグルス」をスタートさせるとき、「野球を体育ではなくエンターテインメント」と捉えよう、と考えたとのことでした。普段球場に足を運ばない人たちにも、来ていただくためにはどのように運営すれば来て下さるのか、様々なアイディアを出され、それぞれの取り組みを成功させておられました。例えば、合唱チームをグラウンドに呼んで、試合前の国歌斉唱をお願いするというアイディアを考える。これは、球場に来て下さった女の子たちにとって思い出になるようなイベントになりえるし、合唱チームの友達たちも観に来て下さるかもしれない。その時球場に来て下さった合唱隊やお客様の女の子たちが大きくなった時に、その子どもたちも来て下さるかもしれない。そういうことをお考えになったんですね。この考え方、発想の仕方は、その後の私の中で参考になっていると感じます。

ゴールデン街ではどのように物件を探すのでしょうか?

ゴールデン街に強い不動産屋さんがいらっしゃいまして、そこから内々で話が進んでいくようです。私の場合は、そのルートではなく、普通に不動産屋さんに出ていた数少ない物件情報から出会いました。ゴールデン街でお店をやりたいのですが、と不動産屋さんに、情報出たらご連絡いただけませんか、とお願いしていたんです。すると、それほど経たずして不動産屋さんから「ゴールデン街の物件出ましたよ」と連絡があり、そこに決め、今に至ります。このような入居の仕方は、あまりないケースのようですが。

猫も似合う居心地! 猫も似合う居心地!

2012年6月に日本一敷居の低い文壇バー「月に吠える」はオープンした。しかし、オープンして半年間は軌道にのれなかったという。ではどのように切り抜けてきたのか、肥沼さんに伺ってみた。

2012年6月にバーを始めてからの、「物書き」と「文壇バーの店主」という2足のわらじは実際のところどうでしたか?

店をオープンした当初は結構大変でした。雇用をするお金の余裕もなかったですし、いきなり人に任せるつもりもなくフルタイム自分で店に立つわけです。当初はCLOSE時間も決めてなくて、お客さんが店内にいる限りお店を開けていました。周りのお店もほとんどそのような営業の仕方に見えましたので、その方針に従っていたというのもあります。結局、朝までお店を営業していて、店の中で椅子を並べて仮眠し、朝から取材に行くということになりました。肉体的にもかなりきつかったですね。

「楽天イーグルス」の取り組みは、文壇バーでどのように参考になっているのでしょう?

とにかく人が集まる仕組みを考え、作りまくりました。例えば、文学賞を独自で開催しました。店の広告費と思って、賞金も10万円自己負担で準備しました。他には、読書会。1時間1,000円でレンタルスペースとして貸している時期もありました。全然利益にはなりませんでしたが、ここを知ってもらうきっかけになればと思い、そのようなことも。予算をできるだけ掛けない方法で、考えられることはほとんどやりきった感はあります。

一番盛り上がった企画は?

そうですね。オリジナルテーマの文学賞は盛り上がりましたね。少しふざけ要素も入れてやっていました。店先に植えてあったミントの苗がよく盗まれていたので、これをネタに「ミントはどこに消えた文学賞」をやりました。400字2枚から5枚までという規定にして、応募は誰でもできるようにいたしました。「ミントを盗んだ」若しくは「ミントが盗まれた」という設定を物語の中に入れることをルールにしました。告知は、自社のサイトと、プレスリリースを作り、WEBや紙などの媒体さんにお送りしました。これがかなりの反響を呼びまして、ネットニュースでも結構取り上げられました。結果、応募は100通を超えました。

大賞はどんな作品が受賞したのでしょうか?

昔、中国で奴隷が薄荷(ハッカ)と呼ばれていたという設定の作品が、大賞を受賞しました。ユリもの(女性同士の恋愛もの)でしたね。設定のルールに対して、「ミントが盗まれた」というベタな使い方をする人が多い中、この作品は、比喩の飛ばし方がすごいなと思いました。もちろん、中身もしっかりしていました。

軌道に乗るまでの時期に何か印象的なことはありましたか?

はい、店をオープンして間もないある日、70歳過ぎのおばあさんが杖をついてふらっと入っていらっしゃいまして。すごく口の悪い方で、自分のことを「俺」といい、人のことを「お前」と言う方でした。ところが、この口の悪いおばあさんに、私は悪い印象を感じなかったんです。ふらっといらして、カウンターにお座りになり、なんとなくお話されて、ウーロンハイを1杯飲むと、すーっと帰っていかれる。私はこのおばあさんにこの街のこと、歴史を教えていただきました。このおばあさんが初めていらっしゃった日の帰り際に、「お前はいいやつだからこの店うまくいくよ」、という言葉を私にくださいました。この言葉が店を開けてまもない不安だらけの私に強く響きました。おばあさんは、3、4か月の間、毎日来て下さっていたのですが、ある日突然、いらっしゃらなくなって。そして入れ替わように、お客さんの入りが安定するようになっていったんです。このことが、一番印象深いです。

今、目の前にその方がいらしたら、どのように声をかけたいですか?

「あー生きていたんですね。今日もウーロン杯ですか」でしょうか。当時と同じようにできれば嬉しいですが…。あの頃もおばあさんは、1週間くらい間をあけて顔を出したお店では、「ちゃんと足あるよね、生きているよね、死んでなかったよね!」と、よく言われていたそうなので。それにひっかけて、「生きていたんですね」と。

厳しい時期はどのくらいだったのでしょう?

半年くらいでしょうか。1か月、2カ月、3か月と過ぎていく中、少しずつですがお客さんがついてきて下さるようになりました。3か月くらいは、かなり厳しい時期を過ごしていましたが、始めた以上絶対やめない、という意思でおりましたので、住まいも吉祥寺から新宿に引っ越し、覚悟を決めてやっていました。いろいろ手を尽くしながら、なんとかなり始めたのは半年くらい。そのあたりから、スタッフもいついてくれるようになり…。

そして現在の独特の運営方法に至るわけですね。

はい、そうなんです。

日本一敷居の低い文壇バー「月に吠える」のカウンターは書棚?日本一敷居の低い文壇バー「月に吠える」のカウンターは書棚?

オープンから半年後、文壇バーは軌道に乗り始める。肥沼さんはライターを辞めていたわけではなく、兼業としての営業であったため、お店を営業できない日もあった。そんな日に助けてくれる人が、少しずつ集まってきた。そして次第に様々なキャラクターのスタッフが、曜日ごとにこのバーのマスターを担当するという、店舗内店舗というような仕組みが自然とできあがっていったのだった。

現在文壇バーは、曜日ごとで担当マスターが決まっているようですね。

はい、お店の常連さんから実際に中に入ってみたいという方がいらっしゃって、ではお願いしてみようかな、ということからアルバイトマスターが始まりました。現在は、曜日替わりの担当マスターが営業しています。一年目あたりは週5日私が入って、残り2日くらい他の人に助けていただいている感じだったのですが、SNSなどでアルバイトを募集してみたところ、週1であれば大丈夫ですという方が複数現れて。気が付けば日替わり担当制になっていました。元々物書きという軸足がありましたので、いずれ落ち着いたら物書きをベースにした活動に戻そうと思っていたこともあり、この形が今は定着しています。そもそもは、週5日でどなたか一人にお任せし、週1日を私が入るようなお店運営が、落ち着く状況かなとイメージしており、日替わり担当制は全く考えていませんでした。しかし今は、私の物書き仕事の都合上、これも仕方がないのかな、と。また、これを面白がって下さるお客様も多数いらっしゃいますので、これもよいのかな、と考えています。

現在のシフトをご紹介しますと、
月曜日 ゆりいかさん(男性)ライター 文学好きな青年
火曜日 山矢千尋さん(女性)会社員 作家志望
水曜日 田中一成さん(男性)駆け出しの若手ライター
木曜日 四畳半シケコさん(女性)会社員。昔からの常連さんで本好きの女性
金曜日 伊波真人さん(男性)歌人
土曜日 山田宗太郎さん(男性)音楽ライター
日曜日 中村透さん(男性)牧師
となっています。
スタッフは20~30代が中心ですが、60代の方もいます。それぞれの曜日に個性があって面白いですよ。

お客様からも、曜日の使い分けするという使い方ができているのでしょうか?

それもあると思いますね。たまたま適当に来店されたお客様が、短歌を好きだった場合、金曜日の担当が歌人なので、「話をしてみれば?」とご紹介することもありますね。このようなアナウンスをスタッフ同士で無意識に行っているところもあります。そのあたりが、お客様にとってもこのお店の曜日担当マスターのいる面白さでもあるようです。

日曜日の牧師さんはどのようなご縁で?

最初にお会いしたのが、今から5年ぐらい前です。ある日私が、ゴールデン街でよく行っているロックバーで飲んでいたら、たまたま隣に、でかい革のジャンパーを着て、リーゼント、髭のオヤジが座りました。お、こいつは只者ではないなと思い、ちょっと引いたのですが、自然に会話が運び、いろいろお話することになりました。

その方はその時、20年ほどアメリカに行っていて帰られたばかりとのことでした。アメリカに行く前はよくゴールデン街に来ていたそうで、日本に帰ってきたので、久々にゴールデン街に来てみたということでした。私はその方に自分のお店のことをお話したら、数日後、私の店に来て下さいまして。見た目はきついけど、すごくもの腰の柔らかな方で、不思議なギャップがある方だな、と思いました。2回目に来て下さった時に、自分は牧師だ、と明かしてくれました。20年ぐらいアメリカで牧師をされていたのだということでした。この方と私は、年齢も離れていますし、何か共通の趣味があるわけでもなかったのですが、それから彼がしょっちゅう飲みに来て下さるようになり、次第に他のお店にも一緒に行くようになりました。

牧師さんは3年ほど前に、所属していた教会をやめ、フリーランスの牧師として活動を開始されました。これをきっかけに、ゴールデン街に牧師がやるバーができないかという相談を受けました。牧師さんによると、「イエス・キリストは教会で困った人が来るのを待つのではなく、街に出て浮浪者とか罪人とか、誰にでも声をかけていく活動をしていた」そうで、そのような活動をするために、ゴールデン街でお店ができれば一番良いと話して下さいました。

そこで、私もお店探しの手伝いをしましたが、なかなか見つからず、お店を持つまでは至らなかったんです。その後、私の店の日曜日担当のスタッフが空いたタイミングで、その方から、「もし日曜日空いているのであれば、日曜日を私にやらせてもらえないか? 日曜日だけの牧師バーやらせてもらえないか?」というお話をいただいたんです。私も日曜日くらいは文壇バーでなく、牧師バーでよいかな、と思い、日曜日を任せるようになりました。「月に吠える内、牧師バー」を始めたのは、2015年10月頃でした。牧師さんは、「説法タイム」を目玉にしたい、と提案されました。営業時間中に日に2回、何かお客様からいただくお題、または、その時に自分が思っていることをお題として、キリスト教の聖書に照らして10分程度のお話をするというものです。これを日曜日の目玉にしたい、ということでした。

私は、初日に立ち会って、その話を聞きました。内容が非常に良くて、私もこれは面白いと感じました。それから、かれこれもう3年ぐらいこれが続いております。今や「月に吠える」の人気枠とも言えます。新聞やWEBメディアにも「牧師がバーをやっている、面白い」ということで、取り上げられ話題になりました。私は、牧師さんと出会い、ここまでの一連のストーリーを見てきているので、感無量といった感慨があります。

肥沼さんが見る現在の文壇バー、そして新宿ゴールデン街

曜日によって違うマスターがいるということで、お店のコンセプトが変わってきたりしませんか?

本と酒というコンセプトと同時に、開店当初から「日本一敷居の低い文壇バー」というコンセプトを掲げていました。すごく広い意味で本好きとか、作家・ライター志望、編集者志望、マスコミに興味のある学生が集まる店になればよいと考えていたんです。それは変わっていません。私が物書きになったころ、わからないことがあったら聞ける場所があったらいいな、と思っていたので、そういう場を作りたかったというのも目的でしたので、この部分は変えたくありませんし、実際、そこは曜日担当マスターが変わっても変わるところではありません。

お客様の年齢層とかはどのくらいでしょうか?

ゴールデン街のお店の客層としては若めの20代~40代の方が多い印象です。

肥沼さんにとって新宿とはどんな街に見えますか?

多様な街だと思います。まさにそれに尽きると思います。ゴールデン街で店を始めたのが2012年6月ですが、当時私は吉祥寺に住んでいて、その年末に新宿に引っ越してきましたので、もう5年以上は住んでいます。住んでみると意外に普通です。よく怖くないですか? とか住める街なんですかね? とか聞かれるのですが。住民として普通に住めるところも多様性の一つかもしれません。

なぜお住まいになろうと思われたのですか?

仕事をするための利便性もありました。現在、お店から歩いて15分圏内に住んでいます。しかし当時の一番の理由は、お店を出店する際に、持っていた全財産を使ってしまいましたので、もう何としても、あー駄目だったからやめよう、という中途半端はできなかったんです。ここと心中する、ではないですが、かなりがっちり関わっていこうと覚悟したことがこの街に住んだ理由でしょうか。

ゴールデン街についてはいかがですか?

ゴールデン街は、280件余りの店舗があります。それぞれお店のカラーが違います。コンセプトがある店と無い店があります。共通事項は、お客様とお店の方が対等ということが大きいと思います。これがゴールデン街の魅力でしょう。初めてゴールデン街に足を運んだ時も、驚いたことの一つがこのポイントでしたが、これは昔も今もどうやら変わっていません。お客様とお店がフラットなんですね。私の場合は、他のお客様にご迷惑をかけるようなことがあれば、どんなお客様にでも、まず注意します。お客様によっては大声を出す方もいて、そんな時は、その方を外に追い出すこともします。お店を守るためには必要なことだと思っています。

ゴールデン街から新宿は広く見えますね。私が今住んでいる西新宿は、基本的にオフィス街です。家からお店まで歩いているとよくわかるのですが、西新宿から新宿駅まではビジネスマンが多く、新宿歌舞伎町エリアになるとビジネスマンの空気は無くなる。特に夜は顕著に変わります。

肥沼さんが新宿に住み始めて5年経ち、ゴールデン街に変化は感じますか?

昔ながらのお店の名物ママ、名物マスターがお店を閉めて、代わりに新しいお店が入ったりしています。「真紀」というお店のママは、テレビのドキュメンタリー番組でも紹介をされていた名物ママでしたがこの方も亡くなってしまいました。新しいお店は若いオーナーの方が出されていますね。まさに世代交代の時のように感じます。

肥沼さんが、文壇バー「月に吠える」を出店して5年。「月に吠える」の成長と共に、この5年のゴールデン街の景色は変化しつつあるようだ。この日本一敷居の低い文壇バー「月に吠える」のドアをノックすれば、物書きを仕事にする、またはその思いを共有する多くの人たちと出会える。思う思いを共有できる場がここにあるのだ。そして、日曜日には説法を聞こう。

〇日本一敷居の低い文壇バー 月に吠える

月〜木
19:00 – 24:00

金・土
19:00 – 翌5:00


18:00 – 24:00

定休日 不定休

東京都新宿区歌舞伎町1-1-10 新宿ゴールデン街G2通り

Editorial department / 本文中の本アイコンは、
歌舞伎町文化新聞編集部の略称アイコンです。

PAGE TOP
GO HOME