300軒近く小さな店がひしめく新宿ゴールデン街に写真家、写真好きが通う一軒の酒場「こどじ」がある。カウンターがメインの、10人も座ればいっぱいの店ではいつも写真の話に花が咲き、賑やかな声が響いている。常連たちが写真を展示するスペースもあり、その予約は数ヶ月先まで埋まっているが、お客たちが店に通う一番の理由は86歳になるオーナーで、“お姉さん”こと小野重子さんの存在が大きいという。
写真が好きでその店の扉をくぐり、小野さんと店の雰囲気に惹かれた写真家の岡部文さんは、やがてアルバイトとして店に立ちながら10年に渡りこの酒場で写真を撮るようになった。岡部さんに「こどじ」との出会いからこれまでを伺った。
編集部:写真はどのようなきっかけで始められたのですか?
20代の頃は映画館や劇場に行くのが好きで、あれこれ吸収したカルチャーの中にたまたま写真もあった感じでした。私は葛飾区の出身なので、同じ下町エリア出身の写真家・荒木経惟さんがモノクロで撮った下町の写真集などをよく見ていました。ちょうどコンパクトカメラの流行などカメラブームもあって、当時は浅草のバーラウンジで働いていたのですが、眺めがとても良かったのでそこで写真を撮ってみたりしたのが最初です。その後、街や人を撮り始めました。
編集部:「こどじ」との出会いはどんなことでしたか?
2005年に、南阿佐ヶ谷にあった写真家が共同運営する「ギャラリー街道」(現在は中野に移転)に参加したんです。そのギャラリーを開設された尾仲浩二さんの展示を「こどじ」でやっていて(2006年)、見に行きたいと思ったのがきっかけです。元々、尾仲さんの写真集が好きでよく見ていたのですが、なかなか一人で見に行く度胸がなくて(笑)。たまたま写真仲間に常連の先輩がいたので、連れて行ってもらいました。
編集部:新宿ゴールデン街の中でも、かなり古くからあるお店なんですね。
1970年代初頭にできたお店で、最初の店主は小野さんの弟さんです。小野さんはその当時近くに「どじ」という店を開かれていたので、その子どもという意味合いで「こどじ」と名付けられました。弟さんが俳優をされていたこともあって自然と演劇関係のお客さん、演劇好きが多く集まっていたそうです。2002年に弟さんが亡くなられて、小野さんが一度は閉じようと考えられたのですが、お客の皆さんが「写真を飾ったりするから!」と盛り上げてくださり、今では30年来の常連さんもいらっしゃる店として続いています。
編集部:写真好きが集まるお店だと伺いました。
小野さんは自ら撮られたりはしないのですが、写真家の森山大道さんをはじめ、店に通われる写真家の方々と親交があって“写真応援団”でいらっしゃいます。尾仲さんも元々森山さんの生徒で、若い頃連れて来られてそのまま通われるようになったそうです。
森山さんは歌舞伎町などで写真を撮られ、写真集『新宿』などを出されていますし、他にも渡辺克己さん(かつて新宿の流しの写真屋と呼ばれた。写真集『新宿1965-97』などがある)、梁丞佑(ヤン・スンウー)さん(歌舞伎町の夜の街を撮影した写真集『新宿迷子』で2017年度土門拳賞を受賞)といった方々がいて、新宿には独特の写真文化があるように思います。
「こどじ」は新宿ゴールデン街の中でも、近所に住む常連さんから写真が好きな人、写真を専攻している学生や写真関連のメーカーの人などさまざまな方が集まる場所になっています。森山さんが店のことを自分の本に書かれていたり、海外の人が書いた「こどじ」を勧めるブログもあったりして、写真好きな外国人が海外からこの店を目指して来ることも度々ありました。
写真の展示スペースは、小野さんが「OK」と言えば誰でも飾れるので、皆さん小野さんに見てもらうのを緊張しつつも楽しんで作品を持って来られます。店に通い始めて周りがやっているのをきっかけに写真を始めた中華料理店のコックさんなどもいらっしゃいます。
編集部:長くお客として通い、その後アルバイトとしてお店に立ちながら「こどじ」に集う人々の写真を撮り続けていらっしゃいます。岡部さんを魅了するのはどんなところでしょうか。
本当に小野さんの存在に尽きると思います。小野さんがいる「こどじ」という場所が好きというのが大きいです。
アルバイトを始めたのは2013年にフリーランスになった頃で、ちょうど人手も欲しかったようで「仕事あるの?時間あるならちょっとやってみる?」という感じで声をかけてもらいました。最初にお店に行ってから7年くらい経っています。バーラウンジで働いていた経験はありますが、新宿ゴールデン街はやっぱり独特な空間ですし、最初はどんな人が来るのかちょっと怖い気持ちもありました(笑)。
飲み屋という空間なので、最初はそうした場で撮影するのはかっこ悪いと感じていましたが、私は人を撮るのが好きなので、知っている人も多くなってきて関係性が築かれるうちに自然にそうなったという感じです。お客さんが携帯で撮り始めたら「撮りますよ」と声をかけて「私も1枚撮っていいですか?」と少しずつ、撮れる時に撮り続けていたらあっという間に10年が経っていました。
編集部:6月には、吉祥寺の書店「一日」のギャラリースペースで「VISITORS TO KODOJI」と題した写真展を開かれました。10年間撮影した写真を振り返っていかがでしたか?
「こどじ」は「話したい」人が多く集まる場所だと思うんです。緊急事態宣言で長く休業することになり、皆さん話をしに行く場所がなくて寂しい思いをされているし、私もお顔を見たい気持ちがあって今回展示を行いました。撮影した時から時間を経ることで写真の見え方が変わるのはわかっていましたけど、来てくださった常連さんが展示を見て「おー、懐かしい!」とおっしゃるのを聞いて、何か写真が一つの歴史を写しているかのように感じました。コロナ禍で今はどこか少し離れてしまったもののように感じる部分もあるので、このような形で記録になるというのは、どこか複雑な感じがします。
これまで毎年来てくれていた外国人もいるんです。「三社祭を撮りたいから」といつも新宿の近くに宿をとって、夜は必ずゴールデン街へ来るような人たちは、今どうしているのかなと思います。彼らはみんな「最高だった」と言って帰っていきますし、「前回来た時にとても良くしてもらって楽しかった」とお土産を持って再訪してくれる人もいて、本当にうれしく思っています。新宿ゴールデン街はとにかく皆さん優しいし、安心して過ごすことができる場所だと思います。他にこうした空間はあまりないのかなと思います。
編集部:この先続けていきたいこと、チャレンジしたいことはどんなことですか?
またお店がオープンできるようになったら私も週2日店に立つので、みんなで呑める日が待ち遠しいです。撮り続けてきた「こどじ」の写真もだいぶあって、これまであまり発表していなかったのでいろいろな場所で展示をしてみたいですし、展示をきっかけに「こどじ」のことを知ってもらえたらと思います。時代とともに街が変わっていくのを見ると、やっぱり撮っておいて良かったと感じます。街や自分が通う店などでこれからも写真を撮り続けていきたいです。
岡部文さん プロフィール
1972年東京都港区生まれ、葛飾育ち。2002年頃より東京の下町を中心としたスナップショットを撮りはじめる。インディペンデントパブリッシャー&ギャラリー「ギャラリー街道」(中野区)に参加。個人新聞『天晴新聞』(あっぱれ しんぶん)編集長を務める。近年は、酒場や町で主に人物を撮影する。
関連URL
ギャラリー街道 KAIDO BOOKS & GALLERY
https://kaidobooks.jimdofree.com/