新宿に地場産業として根付く染色業
その歴史とこれから
新宿区染色協議会会長 吉澤敏さん

2022.12.27

新宿区には、以前ご紹介した「佐々木活字店」など印刷・製本関連産業が地場産業の一つとして根付いているが、日本の伝統工芸である染色業もまた新宿の地場産業であることは意外と知らない人が多いかもしれない。染色業はその工程において、糊や余分な染料を落とすために反物の水洗いが欠かせないが、かつては区内を流れる神田川で反物を洗う光景が日常的に見られたという。現在も神田川沿いを中心に中井や落合、神楽坂といったエリアに多くの工場(こうば)があり、各工程を専門とする職人たちが染物づくりを手がけている。そんな新宿区の染色業について、新宿区染色協議会会長を務める「吉澤湯のし加工所」代表の吉澤敏さんにお話を伺った。

編集部:
新宿に染色業者が多く集まったのはいつ頃からなのでしょうか?

吉澤さん:
江戸時代は市街の中心だった日本橋に呉服店などが並び、そこから近い神田や浅草(神田川、隅田川沿い)に職人たちが多くいました。大正時代になって街が繁華街化していくにつれて場所がなくなり、川の水も汚れたり水量が減ってきたりしたために、古くから水がきれいだった神田川上流の方へ規模の大きな工房が移っていき、それに従って関連業種の職人らも移動し、新宿エリアが染めの産地として知られるようになりました。

染物の水洗いの工程(水元)の実演(イベントでの再現)

編集部:
染色は分業でさまざまな職人さんがいらっしゃるのですね。

吉澤さん:
生絹を精錬したり染色された布の色抜きを行う「精錬色抜部(せいれんいろぬきぶ)」、白地を染め上げる「浸染(しんせん)」、手書き友禅の図案構想から仕上げまで担う「模様・糊画(せんが)」のほか「小紋」や「刺繍」など分業制で、多種多様な職人が協力し合いながら反物を作ります。私たちはそれを「仲間仕事」と呼んでいます。
うちは職人だった祖父が独立して始めた「湯のし」の工房で、今年で創業90年、私が3代目になります。「湯のし」は染める前の白生地や染め上がった反物に蒸気を当ててしわを伸ばし、布幅を決められた長さに整え生地を柔軟に美しく仕上げる工程です。昔から工房の多くが職住一体で、僕が生まれた頃は食事をするテーブルのすぐ横に機械が置いてあって、朝から晩まで祖父や父が仕事をしているのを見て育ちました。住み込みの人たちもいて、2台ある機械が朝の8時から一日中動きっぱなし。着物の生産量は今の10倍以上あったかもしれません。
東京は京都、金沢と並ぶ染めの三大産地の一つと言われ、特に戦後は銀座のファッションの流行を取り入れるなど、そのモダンな色使いや柄が人気でした。東京で作ったものを毎週京都や大阪へ送るような時代もあったほどで、新宿エリアはそうした東京の染めの中心的な役割をずっと担ってきました。

工房で湯のしの工程を手がける吉澤さん

編集部:
新宿区染色協議会はどのような活動をされていらっしゃいますか?

吉澤さん:
東京には例えば「東京の手描友禅染」を専業とする職人たちの組合など、同業種の組合がいくつかありますが、我々は「新宿区の地場産業を盛り上げていこう」と構成された団体で、新宿区を拠点に仕事をしているさまざまな業種が集まっているのが特徴です。現在会員数は約60人ですが、1980(昭和55)年の創立時には14業種220人以上いました。業種を超えて情報交換ができるところは当協議会の良いところだと思っています。
毎年、多種多様な工房の見学や染色体験ができる「お江戸新宿 紺屋めぐり」と題したイベントのほか合同展示会の運営、新宿区主催の「しんじゅく逸品マルシェ」に出店するなど、各工房が協力しながら行っています。
実際に工房を見学してもらうと、特にうちなどは外から見えない加工ですので、「こんなことをしているんだ!」と反響も大きいです。染色の現場に触れ、新宿にこうした産業があることを身近に感じてもらえるのは非常にうれしいですし、新宿の染めの知名度を上げることは自分たちの商売にも返ってきます。染色業が産業として発展し続けていけるよう今後も発信していきたいと思います。

各工房でさまざまな体験や展示を企画する「お江戸新宿 紺屋めぐり」
染色の工程「水元」を再現した体験イベント

そう話す吉澤さんから「印刷・製本関連業と染色業が一緒になって新宿区の地場産業を広めていけるような新たな取り組みも進んでいます」と伺った。新宿区が両団体へ呼びかけ2018年にスタートした「地場産業団体新商品開発等事業」は、それぞれが持つ技術と強みを生かした商品の共同開発や企画を通して地場産業と街の活性化を目指すもので、その中から「ツツジ」の花をモチーフにした「Azalée (アザリー)」プロジェクトが誕生した。
クリエイティブディレクターとして内田喜基さんが参加し、ロゴマークとそれを活かした小紋柄を両団体と一緒に作り上げ、染色業、印刷・製本関連業それぞれが「アザリー」の柄を使って商品を作るだけでなく、商標登録したロゴマーク、柄を無料で広く新宿区内の企業や団体に使ってもらい、一体となって新宿のものづくりを発信していこうと企画が進んでいるという。

「Azalée」のロゴマークとマークを生かした小紋柄デザイン。
アザリーはフランス語でツツジの意

吉澤さんにご紹介いただき、内田さんにもお話を伺った。広告やパッケージのデザインなどを手がけながら2004年に独立し、新宿区に株式会社cosmosを立ち上げた内田さんは、初めて手がけた地場のメーカーのブランディングにやりがいを感じ、以降デザインにとどまらず企業や団体、行政などと共にさまざまなブランディングに積極的に関わる。「アザリープロジェクト」への参加は、とあるイベントに参加した際、偶然声をかけられたのがきっかけだったそうだ。

内田喜基さん 「不二家 ネクター」「花王ケープ」などの商品デザイン、「菓子舗井村屋」ブランディング、西伊豆 道の駅「はんばた市場」などのブランディングやコンサルティング、PARIS DESIGN WEEKにてYohji Yamamotoパリ支店でのインスタレーションなど多岐にわたって活動。
著書に「グラフィックデザイナーだからできるブランディング」(誠文堂新光社)

内田さん:
染色協議会の前会長さんが、新宿を拠点にしていることとこれまでの自分の仕事について知ってくれていて、「染色業と印刷・製本関連業で取り組んでいる会議に参加してもらえないか」とお声がけいただきました。染色と印刷という全く違う業種が一緒にモノを作るというのはなかなか難しいのではというのが最初の印象でした。ただこれまでのさまざまな経験から、せっかく関わるのであれば何かぱっと商品を作って終わるのではなく、長く使っていけるような、街を盛り上げていけるようなブランディングができればと思いました。

「アザリー」のデザインを使った手ぬぐい。
注染(特殊な糊で防染し、重ね上げた生地の上から染料を注いで模様部分を染め上げる、
伝統的な型染めの一種)で染めた
コースターと箸入れ

編集部:
どのようなやりとりの中で「アザリー」のデザインは生まれたのですか?

内田さん:
実は最初の1年は「どんな商品を作りたいか?どれくらいの金額で売りたいか?」「伊勢丹のこのスペースに置くと考えたらどんなイメージ?」など毎回具体的なお題を投げ、みんなで考えるというやりとりを重ねました。デザイナーが来たのだから、すぐに何かデザインして形になると最初は思われていたかもしれませんが(笑)、これまでの経験から一つ一つ考える過程を共に経ることで、プロジェクトや作る商品に対して愛着が湧き、より良いものを作りたいという思いも芽生えてくる、と考えていました。
実際、新宿区を盛り上げていきたいという気持ちは共通の思いとしてありましたし、次第に染色と印刷というカテゴリーで話しているけれど、両業界の職人さんだけでなく何か街を盛り上げられるようなロゴができないか、と方向が見えてきました。新宿区のロゴとし何を思い浮かべるか考えていく中で、新宿区の花として制定されているツツジというアイディアに辿りつきました。新宿は江戸時代、大久保周辺などツツジの名所として知られていて、一度は衰廃するも街の人たちによって再興を果たし守り続けられています。そんな花に重ね合わせ、鮮やかに花開き街を染めていければとの思いも込めています。

新宿区商店街振興事業「新宿応援セール」ノベルティーとして制作したトートバッグ

内田さん:
ようやく「アザリー」というアイコンが生まれたので、さまざまな人を巻き込みながら、愛着を持ってくれる人を増やし、広めていくことが今後の課題です。アザリーの柄は新宿の小紋柄を意識し、ツツジの花がつながり合っているデザインにしました。街が繋がりあい増幅していくような思いもそこにあります。僕自身、見た目のデザインだけでなく、仕組みづくりから一緒に考えていくことで街に貢献していきたいと思っています。経験を積みながら、ようやくそうしたトータルなデザインの在り方で誰かに喜んでもらえるようになってきたという感触もあるので、アザリープロジェクトも長く続くよう尽力していきたいと思っています。街が盛り上がることで、デザインの価値も上がればうれしいです。

「MUJI新宿」でお披露目となった「アザリープロジェクト」
クラッチバッグや大判のスカーフなど、今後HPでの販売を企画する

編集部:
最後に、吉澤さんに染色業の今後について伺った。

吉澤さん:
「アザリープロジェクト」は、会議の初めは大丈夫かなという思いもありましたが、いざこのツツジのデザインが生まれるとどんどんアイディアが出てきました。昨年12月に“地域に根ざした店舗づくりを掲げられる「MUJI新宿」店頭で行った「Azaléeつながる市 企画展」でお披露目し、会期中は江戸小紋染めの職人による染付実演のほかミニワークショップ、試作品の展示販売などに多くのお客さんがいらしてくださり、いろいろな意見も聞くことができました。染色業でも浴衣や手ぬぐい、風呂敷、スカーフ、着物の生地を使った名刺入れなどいろいろな小物をつくりました。印刷・製本関連業ではメモ帳のほかコースターや箸袋を作り、街の飲食店に配って使ってもらえたらという話もしています。「アザリー」が新宿の染色業と印刷・製本関連業という地場産業を紹介するに当たって一つの起爆剤になると期待していますし、僕自身もこのデザインを使ったモノを広めていきたいと入れ込んでいます。
ツツジのロゴは饅頭に焼印するなど食とコラボレーションしたり、デパートなどで包装紙に使ってもらうなど印刷加工技術を生かしたパッケージ作りだったり、さまざまなアイディアでコラボしてもらえたらと思っています。いずれ「アザリー」をテーマに多様な新宿の商品が集まる展示会やマルシェができるようになったらいいと思いますし、地場の産業を盛り上げるべく、我々染色業も広く発信に努めていきたいです。

新宿から発信する染色産業
内田さんが手がけた「Azalée」のパンフレット

関連URL

新宿区染色協議会
https://tokyo-somemono.com/

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