演劇・映画文化を発信し続ける新宿の街のシンボル
「新宿コマ劇場」と、そのDNAを継ぐ「新宿東宝ビル」 <後編>

2020.11.05

ゴジラヘッドゴジラヘッド
資料提供:東宝株式会社 ©TOHO CO., LTD.

 昭和時代の新宿を代表する「新宿コマ劇場」の跡地に、その意思を引き継ぐかのように建てられた「新宿東宝ビル」は、瞬く間に平成時代の新宿の街のシンボルとなった。

シネコン、ホテル、飲食店などを有した複合ビルは「ゴジラビル」とも呼ばれ賑わいをみせる。

ビル全体を見ると巨大なゴジラの意匠(ゴジラヘッド)が非常に目を惹きます。これは初めから計画にあったのですか?

ビル着工時には全くありませんでした。元になったのは藤田観光さんのアイディアでした。ワシントンホテルもそうですが、全国でそれぞれの地域に密着したホテルの部屋作りをされていて、歌舞伎町で展開するホテルでも何かしたい、「例えばゴジラルームとかゴジラ神社、テラスに何か施すのはどうだろう」などいろいろ考えていらっしゃいました。

当社もちょうどハリウッド版「GODZILLA」の映画公開、さらにゴジラ生誕60周年という記念の年と重なっていて、社内を横断したゴジラチームが出来上がっていたこともタイミング的に良かったと思います。何かできたらという思いもありながらも、ゴジラは東宝の映画作品を代表するキャラクターですから、ゴジラをかたどった何かシンボリックなものを作る場所が「本拠地である日比谷ではなく歌舞伎町で良いのか」「乗降客も世界でトップクラスを誇る新宿のエンタテインメントシティ歌舞伎町は来街者も多いから良いのでは」と、ここでも社内で賛否両論がありました。

「新宿東宝ビル」開業日の様子「新宿東宝ビル」開業日の様子
資料提供:東宝株式会社 ©TOHO CO., LTD.

ビルの設計を手掛けた竹中工務店さんがゴジラヘッドのイメージを絵に描いてくれたのですが、それを見たらみんなが「いいじゃない!」とおもしろがったんですね(笑)。いろいろな人の中にある思いがシンクロしたのだと思います。

「コマ劇場」閉館から7年、新たなビルができ、明かりが消えたようだったとも言われる歌舞伎町の街の風景も一変しました。

歌舞伎町商店街振興組合の理事長も「来場者が増え、街が変わった」と喜んでくださっていますが、当社にとっては振興組合はじめ、地元の方々がパトロールや浄化運動などハード・ソフト面共に尽力してくださったこともこの成功には欠かせなかったと大きく感謝しています。新宿区行政もいろいろ考えてくださり、区と街、企業が「街をより良くしたい」という思いを持ち、それぞれの役割を進めながら同じ方向に向かっていったことが、その後の活気ある街づくりの復活につながったのではと感じます。

「ゴジラロード」と記されたゲート「ゴジラロード」と記されたゲート

たとえば、ビルに向かう通りには元々大きな街路樹が並んでいたのですが、靖国通りからビルまでの見通しを良くするため、植樹の低木化を行ってくださり、地域活性のための導線づくりに尽力してくださったのも区と街の心遣いを感じる采配です。「セントラルロード」と呼ばれていた通りに名前を付けて欲しいとも言っていただき、新しく「ゴジラロード」の名に生まれ変わりました。ゴジラヘッドが見通せてシネコンの入り口があるというのが分かるから、皆さん安心して靖国通りを渡って歌舞伎町に来てくださるようになりました。

この通りやシネシティ広場にレッドカーペットを敷いて行う映画関連イベントの開催もすでに20回以上になり、話題のイベントとなりました。ビル竣工式の時にレッドカーペットを敷き、ここで何ができるか、その可能性をアピールしたのですが、以来ハリウッドスターが何人もここを歩き、それが世界に配信され、「歌舞伎町」の名も世界に一層知れ渡るようになりました。

「シン・ゴジラ」公開を記念して行われたレッドカーペットイベント「シン・ゴジラ」公開を記念して行われたレッドカーペットイベント
資料提供:東宝株式会社 ©TOHO CO., LTD.

当社創業の地である日比谷・有楽町は「母と娘の街」と形容されます。宝塚劇場もありますし、日比谷シャンテもそうした店づくりを意識していて、どこか上品な街のイメージというのは、昔から変わらずあるように思います。

東宝はどちらかというとそちらに近い社風でもあるのですが、歌舞伎町に複合ビルを作る際、これまでに新宿にはあまりなかったようなそうしたエッセンスが加わったことで、比較的男性が多かった街に、家族連れ、ベビーカーを押した女性などが来てくださるようになりました。映画館を作ったことがやはり大きかったと思いますが、その様子にはびっくりしましたし、感動しました。ゴジラロードに並んでいる店舗のみなさんも「お客さまが信じられないくらいみえた」と非常に喜んでくれました。

「新宿東宝ビル」にもまた、「コマ劇場」を作った創業者・小林氏のパイオニア精神が受け継がれているようです。周辺の街づくりについて意識されていらっしゃいますか?

映画館など施設を点で作っていてはダメだと思います。面に広げていくという発想が街づくりにはありますよね。施設への集客も大切ですが、同時に来てくださったお客さまが街に出て、さまざまな場を利用し楽しんでくださるような役割を担えるか。そうでなければ単なる建て替えで終わってしまいます。

藤田観光さんがホテルを作ると言ってくださった時に、大型観光バスが入れるようにしたいという要望があったのですが、その時も振興組合に連日お話を聞いていただき、実証実験を行ったり、区や警察と調整したりしながら、ようやく実現することができました。

今では新宿を回遊するコミュニティ・バスの停車場も設置されています。また、ゴジラロードとシネシティ広場の街路灯は、街全体で統一感が出るように同じデザインのものへ刷新されました。街の人がやりたいと考えていたことでもありましたし、街づくりに関わる苦労もありましたが、取り組んで良かったと思っています。

歌舞伎町のように、先人が「街を回遊する」ようイメージして街づくりを進めたという例はなかなかないと思います。現代に残っている街のDNA、街づくりの精神を我々も引き継ぐというのは大事ではないかと感じます。

シネシティ広場に面したビル壁面に設置されたゴジラのイラストシネシティ広場に面したビル壁面に設置されたゴジラのイラスト
資料提供:東宝株式会社 ©TOHO CO., LTD.

未来に向けて考えられている新たな取り組み、街への思いをお聞かせください。

新宿は若い人が多いですし、ゴジラロードでのレッドカーペットやシネシティ広場でのイベントにもたくさんの人が集まります。我々も広場側にむけて大きなゴジラのイラストを設置しましたが、今後、ちょうど向かい合う形で完成予定の東急さんの「ミラノビル(仮称)」には巨大ビジョンがつくと聞いています。広場を取り囲む4面全部が、ニューヨークのタイムズスクエアのような発信拠点になれたらおもしろいですね。ビジョン同士連携したり、全面ジャックしたり、広場をどう活用するかには大きなポテンシャルを感じています。単なる広告だけでなく、スマホと連動するなどコミュニケーション的なことができたらと、研究も進めているところです。イベントを行えば人は集まるのですが、理想を言えばイベントがなくても人がいっぱいいるような仕掛けは何かないかな、と考えています。

歌舞伎町は、昔から「何か新しいことに取り組む街」という印象があります。何でも受け入れるからこそ、また新しいものも生まれるのかもしれません。
創業者の小林が言い続けたのは「吾々の享くる幸福はお客様の賜物なり」という言葉で、「朗らかに、清く正しく美しく」というその精神は、おそらく入社した時から社員みんなが共有しているものだと思います。何をやるのか、やらないのか、それはやはりお客さまのことを一番に考えてです。

靖国通りから見る「新宿東宝ビル」靖国通りから見る「新宿東宝ビル」

本業である映画については、この先登場するだろう映画館の設備をはじめ、どんどん新しいことを取り入れ、多くのお客さんに来てもらいたいと思っています。お客さんがあふれるくらいになるようだったら、周辺に新たに映画館を作りたい。それくらいの思いでいます。

コロナ禍で、アメリカなどはネット配信の需要が高まりましたし、映画の未来はどうなるのか危惧する声もあります。一方で、体験型のアトラクションなどへの需要は伸びてきていて、映画館の設備も体験型の方向へ進み始めている部分もあり、そうした映画館作りはキーになっていくかもしれません。当社の社長がよく「自宅で見るのはノンアルコールビール。アルコールの入った本当のお酒が映画館なのだ」と表現します。歌舞伎町という場所に足を運び、作品と映画館の空間を楽しみ、そしてまた街に出る。それらすべてが点ではなく、面となって広がるような、そんな映画体験をこれからも提供し続けていけたらと思います。

Editorial department / 本文中の本アイコンは、
歌舞伎町文化新聞編集部の略称アイコンです。

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