神河さん:
「広場と一体となるようなステージを建物に作るべきではないか」という東急チームのアイディアを聞いて、それは開発が成功するキーになるように感じました。建物を造ったら終わりなのではなく、そのステージを通してさまざまな人たち、つまり中島先生が著書でお書きになっている「アーバニスト」が街と関わり、寄与していくことができるようになります。著作『アーバニスト−魅力ある都市の創生者たち』をご教示いただきながら、先生に、「アーバニスト」という存在についてご説明いただけたらと思います。
中島さん:
「アーバニスト」という言葉には、「都市をつくる人・都市計画の専門家」の意味と、「都市での生活を楽しむ人」の2つの意味があって、両者は今まで別のものとして存在していました。例えば都市計画を行う人たちは、その都市を楽しむこととは区別して、ある種プロフェッショナルとして「計画」という仕事に取り組んできたわけです。しかし昨今、自分も楽しむ側にいながら計画をしたり実際そこで行動を起こしたりするなど、計画するだけでなく、まさに自分自身がその場所、街を味わうような方向になってきているのではないかと感じています。そもそも計画者が「生活者」としての重なりをつくっていかないといいモノはできないのでは、とも思うのです。
中島さん:
一方で、今まで「生活者」として括られていた人たちも都市のつくり手になってきています。もちろん東急さんのような建物をつくることはできませんが、都市に対していろいろな価値をつくっていくさまざまなアクションがあります。特にすでにある程度出来上がった都市を再生させていくような場面では、ビッグプロジェクトももちろんありますが、例えば一つの素敵な居場所の開設の方が非常に効いてくるようなことがあるのです。生活者やその都市を面白いと思っている人たちが、さらに自分たちの都市を面白くしていく可能性が大きくあるわけです。このように計画者と生活者が互いに両方向から重なり合ってきていて、その重なり合ったところこそが今後の都市において大事であり、今後そういう人たちのことを「アーバニスト」と呼ぼうという動きが見られます。
「アーバニスト」がたくさんいる街は、これから面白いことが起きていくのではないかと思っていて、そうした観点からも、今回の東急さんのプロジェクトから「アーバニスト」的なものがどう生まれるのかに関心があります。東急歌舞伎町タワーが建って、そのホワイエに人が集まっているというシーンそのものも、街をつくっているように思いますが、例えば来館者がライブを見てただ楽しんで帰るだけではなく、その人たち自身も何か「その場」を自分たちがつくり出しているだと言えるようなことが起こり得るだろうと思います。
田島さん:
歌舞伎町の広場は制度としては行政が管理する「道路」ですが、例えばホストクラブの皆さんがその道でゴミ拾いをしていたり、ストリートパフォーマンスをやっている人がいたり、「アーバニスト」というべき人たちがたくさんいます。この街はどこか「道」を中心にしながら生きている感じがとてもするのです。今回のプロジェクトではそうした道のような屋外で起こっている活動が建物の中に入ってきて、建物の中で起こっていることが街に出ていくというような、開発が街のポンプ、肺みたいな役割を果たす、街と建物の還流構造をつくりたいと考えて進めてきました。その中に例えば現代アートも一つ軸にしています。「歌舞伎町でどれだけ共犯者をつくれるか」という思いでスタートしましたが、「アーバニスト」を繋ぐことはまさに共犯者を作っていくようなイメージがあります。
神河さん:
前述の著作の中で、「アーバニスト」としての都市や地域への関わりにおいて、大企業、ベンチャー、コミュニティビジネス、それぞれにおける役割について触れられていました。歌舞伎町のまちづくりにはアーティストをはじめ、個人のプレイヤーなどさまざまな人が関わり合ってくるように思いますが、大企業ならではの役割はどのようにイメージされていらっしゃいますか?
中島さん:
個人商店や小さな会社が集まっている歌舞伎町の中で、東急さんのような大企業の果たす役割は、これまでの歴史を継承しつつも、その連続にはない何か新しいことを取り入れていくことだと思います。何かを変える時に企業の決断というのは効いてくると思いますし、街の人たちの活動を後押しするのは大きな発信力を持つ大企業の役割なのではないかと思います。
神河さん:
かつてスケートリンクの入った新宿東急文化会館が開館した時も「人の流れが変わった、街に大きな影響を与えた」と、反響が大きかった話をよく聞きましたが、今回も地域の人たちに初めてこのプロジェクトについてお話した時、すごい期待感が伝わってきました。
田島さん:
まちおこしなどの場面で「風の人」(外から関わる人)、「土の人」(その町の人)という言葉を聞きますが、我々が「風の人」としての役割をどう担えるかということなのかな、と思って今お話を聞いていました。資本の大小に関わらず皆、「風の人」となりえますが、ダイナミックなきっかけが作れるよう、街にいる皆さんの風に協力して後押しできるのは企業の役割なのかなと思います。
中島さん:
東急さん自身が「風の人」というよりも、「風の人」を集める役割があると思うんですね。東急さんは、建物を持ち続けるという点では歌舞伎町の「土の人」とも言えるからです。
田島さん:
ありがたい言葉です。おそらく5年くらい前から歌舞伎町という街に降り立ち、たくさんの人たちと出会い、共犯者になることができたというのが一番大きな成果だと思っています。このプロジェクトをきっかけに個別に活動している人たちが繋がり、何か面白いことをやりましょうという出来事が今たくさん起こっています。まさに風の人を集める、土の人になっていければと思っていますし、これからの僕らの役割ではないかと感じています。
神河さん:
都市で暮らす人、遊ぶ人たちの活動など、文化を中心に考え地域と連携し、また広場といったパブリックスペースの在り方を意識した今回の都市開発は、他の都市の再生にも活かせるモデルづくりの可能性を秘めているように思います。最後に、歌舞伎町の未来の展望についてお聞かせください。
中島さん:
歌舞伎町に新宿東急文化会館、新宿コマ劇場ができたのは1956(昭和31)年12月でしたが、最初に広場を含めそのまちづくりを評価したのは1957(昭和32)年に発行された「建築文化」という雑誌の中で丹下研究室が綴った、「56年の出来事」というページでした。当時の有楽町や池袋、渋谷における都市計画はあまりうまくできていないという評に対し、歌舞伎町は広場と建物の関係性に着目しつつ、「コマ劇のところに立ってみれば、新しい都市的な興奮が感じられる」と書いています。
広場を活かし、建物を広場とつながりあうように建てたという今回の東急さんの開発は、広場との関係性をより深めたという点で、歌舞伎町当初から志していた街のありようをさらにアップデートしたのだと感じます。
東急さんの開発が触媒となり、新たに建つ東急歌舞伎町タワーの空間や取り組みを通して街の中にいる「アーバニスト」たちがつながったり、化学反応を起こしていったりするその未来の姿を期待したいと思っています。
都市開発というのは、単に「建物が建て替えられていく」という話ではないと思います。新たなプロジェクトを通じて、現在その街にいる人たちを元気にし、街自体を生き生きとさせていくことで街を再生させ発展させていく。そうした都市開発というのは、将来の都市の姿を見据えた非常に良いものになります。おそらく50年後ぐらい先の未来の歴史家がそんな話をするかもしれませんね。都市は不確実性の宝庫ですから分からない部分はありますが、エンターテインメントや文化芸術は滅びることはないと思います。東急さんが惹きつける人々と、歌舞伎町に集うエッジの利いた人たちとの交差、交流の中で、歌舞伎町発のユニークな「アーバニスト」が今後さらに生まれるのではないでしょうか。そんな街の姿を楽しみにしています。
参考資料
『アーバニスト−魅力ある都市の創生者たち』 中島直人、一般社団法人アーバニスト(2021年、筑摩書房)
(この座談会は2022年2月21日に行ったものです)