新宿社交料理飲食業連合会
岩崎直幾さんインタビュー

2022.03.08

歌舞伎町をはじめ新宿には多種多様な店舗が集まっているが、バーやクラブなどの飲食店も繁華街の街の彩りの一つになっている。そうした社交飲食業の店をサポートする団体が新宿社交料理飲食業連合会だ。東京都社交飲食業生活衛生同業組合の傘下にある25支部の一つで、その上部団体である厚生労働省の認可法人 全国社交飲食業生活衛生同業組合連合会は38都道府県にわたり3万人余りをつなぐネットワークとなっている。
東京の同組合常務理事であり新宿支部の代表代行も務める岩崎直幾さんは、飲食店と関わりながら長く歌舞伎町の変遷を見てこられたお一人だ。

学生時代に新宿で飲食する機会はありつつも、あまり縁のなかった歌舞伎町が仕事の活動の拠点となったのは26歳のことだったという。「かつてあったナイトタイムスという情報誌を作っていた会社のオーナーと父が知り合いで、仕事してみないかと紹介してもらったのがきっかけで、もう35年以上歌舞伎町にいます」と岩崎さん。

「入社したのは、ちょうど新風営法に変わる時だった」とも。現行の風営法(=風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)は元々1948(昭和23)年に制定されたもので、これまで何度も改正を重ねてきた。1984(昭和59)年には名前を含めいわゆる新風営法と言われるように、全体が大幅に改正された。バブルと呼ばれた好景気が始まるのが1986年、歌舞伎町もまさにその前夜にあって活況を見せていた時期である。

「法律が変わって店も経営を別のスタイルにするなど、街の風景が変化した部分もありますが、夜になると新宿駅の方から歌舞伎町にどっと人の波が押し寄せて、本当に肩がぶつかりあうくらいの人出だったのを覚えています。飲食店や風俗店が多く、多くの人が郊外からも歌舞伎町を目指して集まってきていました。渋谷にもポツポツと似たような雰囲気はありましたけれど、歌舞伎町はある意味メッカともいえる様相となり、怪しさが全然違いましたね(笑)」と岩崎さん。

1991年にバブルが崩壊し、徐々に時代の風潮が変わる中で迎えた2000年代。当時の石原慎太郎都知事は2003年に「歌舞伎町浄化作戦」と名付け、治安対策の強化に乗り出す。2001年より首相の座に就いていた小泉純一郎氏も2005年、「歌舞伎町を安全で楽しめる街に再生する」といった方針を語っている。

「その辺りから街の様子は変わったように感じます。もちろん街は安心安全な方向にシフトしています。これ自体はとても大事なことですが『清き水に魚棲まず』といった言葉に通じるところもあったのかもしれません。2008年に歌舞伎町のシンボル的存在だったコマ劇場が閉館し、その後来街者も減少し、再度治安も低下する時期が訪れます。社交飲食店の環境も変化がめまぐるしく一番大変な時期ではありましたが、そんな時に歌舞伎町商店街振興組合の片桐理事長(当時)に『一緒にがんばろうよ』と声をかけてもらい、当連合会も同振興組合に加わりました。一緒に清掃活動をしたり、2011年にはセントラルロードに安全安心ステーションができましたが、パトロール活動をしたりする中で、街の方々をはじめ警察や消防とのつながりも生まれたのです。当時は私が一番若手でしたが、片桐さんはじめ、子どもの頃に歌舞伎町で育っているみなさんは仲が良く、街を良くしたいという強い思いを持って活動されていらっしゃいます。」

コロナ禍で大変な状況にあるこの2年の間には、同組合をはじめ歌舞伎町タウン・マネージメントなどとともに、新宿区との話し合いの場に参加し、情報共有や意見交換、飲食店業での対策などにも注力されてきた。

「かつてナイトタイムス編集部を取りまとめていた作家の横尾先生という方がおられました。その横尾先生が『利他で謙虚でバランスを取ることこそが大切』といつも言っていたのを思い出します。社交飲食業界にとっては、在宅化が顕著になり外より家で飲むような傾向がこの先まだ続くかもしれませんが、厳しい状況の中でも従業員のこと考え、足元を見ながら冷静に判断していくことが大事だと思います。私たち連合会も仲間意識、空気感を大切にしています。街の考え方、歌舞伎町のルールを伝えることでそれぞれの店と街との温度差をなくし、変わっていく時代に敏感に対応していけたらと思っています。『人は他の利益を優先し、謙虚にバランスを取らねばならない』と言っておられた横尾先生の言葉こそ、歌舞伎町で皆が末長く活動できるための精神と捉えておりますので、これからもその精神を伝えていければと思っています。」

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