歌舞伎町の入り口に和菓子屋を創業、
まちづくりにも貢献してきた小松本店
小松ビル株式会社代表取締役社長 大塚隆さんインタビュー

2022.02.24

歌舞伎町で古くから店を営まれている企業にお話を伺うと、街に深い愛着を持ち、長きにわたりまちづくりに力を注いでこられた多様なキーマンの方々に出会う。新宿駅側から靖国通りを渡った先、歌舞伎町のシンボリックな入り口となっている「歌舞伎町一番街アーチ」に向かって右隣に建つ「小松ビル」も、街への熱い想いを抱えた創業者が店を始めた場所だ。

さまざまなテナントが入る8階建てのこのビルは、歌舞伎町の黎明期からこの街を訪れる人々を「食」と「空間」でお出迎えしてきた。ビルオーナーであり、直営店舗として同ビル7階「お好み焼き 本陣」を手掛ける小松ビル株式会社代表取締役社長の大塚隆さんにお話を伺った。

創業当時の建物

編集部:
創業は戦後すぐと伺いました。

大塚さん:
私の義理の祖父である小松太良八が和菓子を売り始めたのが最初です。その後この場所に2階建の建物を建て「甘党本陣」という屋号で、1階で和菓子を売り、2階で甘味喫茶を手掛けるようになったと聞いています。ちょうど靖国通りを走る都電の起終点だった「新宿駅前」という停留所が店の前にあり、行き交う人々で賑わっていました。

1973(昭和48)年に現在の8階建てのビルに建て替えており、当時は全館直営で商売をしていました。和洋菓子と甘味喫茶のほか、3階は鉄板焼き、4階は陶板焼き(後にお好み焼き店へ)、6階にカウンターバー、7階にピアノバー、8階には喫茶店とさまざまな業種のお店を展開していました。

甘味喫茶はコマ劇場へ行かれるようなお客さまも多かったのだと思います。おまんじゅうは、コマ劇で公演されていた歌手の北島三郎さんからも、お客さまに配るためとご注文いただいたことがあったそうです。昔は、現在の東宝さんのビルがあるちょうど裏手に和菓子工場兼住居があって、そこで製造し店で販売していました。個人でこれだけの業態を運営するというのは、商売人だったんだと思います。

義祖父がここで商売を始めたのは戦後すぐ、45歳頃のことです。当時は街の若手として(現在の)歌舞伎町での新たなまちづくりを計画、先導してきた鈴木喜兵衛さんに協力し、復興協力会の委員も務めるなど、街のために力を注いできた人でもありました。1977(昭和52)年には歌舞伎町商店街振興組合の第2代理事長に就いています。義理の父、小松良司もそれを受け継ぎ1995(平成7)から10年にわたり、第4代理事長を務めておりました。

1957(昭和32)年頃の「小松本店」。看板におだんご、あんみつの文字が見える (提供:歌舞伎町商店街振興組合)

編集部:
代々、街のためにご尽力されているのですね。

大塚さん:
かつてはこの辺りも酒屋やスケートリンクがあったので、貸しスケート靴屋さんだとか、提灯屋さんなども並んでおり、そうした地元の方々は皆さん仲良しでした。歌舞伎町で生まれ育った義理の父にも仲間がとても多く、毎晩のように後輩を連れて出かけていました。二人とも街のことが大好きで、歌舞伎町のためならばと相当力を注いでいたのだと思います。
喜兵衛さんが尽力したまちづくりにかけるDNAのようなものを、一緒に関わる人々もそれぞれに引き継いでいるのだと思います。喜兵衛さんに続いてみんなで街をつくっていくのだという思いは、現在も歌舞伎町商店街振興組合に大事に引き継がれているのではないかと感じています。

現在のビル周辺の様子(2020年12月撮影時)

編集部:
大塚さんは歌舞伎町の変遷をどのようにご覧になられていますか?

大塚さん:
私は銀行の役員から一転、家内の実家であるこの事業を4年前に引き継ぎました。それまで学生時代は自由が丘、渋谷、六本木周辺に馴染みがあり、銀行員時代の勤務地は千代田、港、中央区。新宿に自分自身の拠点を置くまで、歌舞伎町はきらびやかで、雑然とした雰囲気もあり、どこか怖いもの見たさのような感覚で行く街といったイメージを抱いていました。我が身の拠点となってからの実感も、想像通りの街、といった印象でしょうか。

やはり以前はコマ劇場が圧倒的な集客力を持っておりましたので、昭和の隆盛期を経て、2008(平成20)年のコマ劇場閉館前後から徐々に街全体の勢いも下がっていきました。当ビルは1997(平成9)年には1階、2階の自社経営の甘味喫茶などをすでに閉店しており、その後少しずつ各フロアを第三者にお貸しする方向に転じました。現在は1フロアのみ自社で営業しております。2015(平成27)年の新宿東宝ビル開業は、街にとっても私どもにとっても本当に待望の出来事でした。実際、これを機に街の雰囲気がガラっと変わり、周辺各店舗も集客・売り上げが一気に上がったと聞いています。また、いよいよ来年(2023年)には映画館や劇場、ライブホールなどエンタメに軸足を置いた東急歌舞伎町タワーが歌舞伎町シネシティ広場前に完成しますので、街がさらに劇的に変わるのではないかと、大変期待をしております。

祖父・小松太良八さんと写る大塚さんの妻(旧姓 小松)由希子さんと妹の千洋さん。「孫には何でも許してくれるような、私たちにとっては優しいおじいさんだった」と由希子さん
祖母(山本ハナさん)と写る由希子さん。店舗前で撮影された一枚

編集部:
この先の歌舞伎町の街へはどのような思いをお持ちでしょうか?

大塚さん:
ここを引き継いだ時に、本業だけではなく、やはり街全体が魅力的になるようなお手伝いが何かできればと思いました。そして2年ほど前(2019年)から歌舞伎町商店街振興組合で有志に集まっていただき「10年後はどんな街にしたいか?」といったビジョンを考える話し合いをする場を持ち始めたのです。

同じ頃、世界で初めてナイト・メイヤー(ナイトライフを中心に観光推進なども担う「夜の市長」)制度が生まれたオランダ・アムステルダムの取り組みに触れる機会もあって、そんな「世界の都市に肩を並べたい」という妄想も立ち上がりました。銀行員時代から大きく夢を掲げて仕事をするのが好きでしたので、せっかくなら「歌舞伎町を世界で唯一無二の魅力ある街にしたい」と考え、「エンタメと言えば歌舞伎町」と認知してもらうためのキーワードをあげながら、有志でビジョンを描きました。そんなさ最中にコロナ禍となり、あらゆることがバーチャルに変わり、生活様式も在宅化しつつある現状を捉えながらも、やはり人々が「体感」を渇望するであろうと考え、「体感」こそキーワードになるのではないかと話し合いました。そこから「ヒューマンエンターテイメントシティ」を今後の歌舞伎町という街のコンセプトに掲げました。造語ですが、光や音、振動といった体験、共感や参加といったコミュニケーションを通して、人と人(ヒューマン)が関わり合える機会(エンターテイメント)を街から提供していこうというのがその狙いです。ビジョンのイメージを考え始めたのはコロナ前ですが、コロナ禍で環境が変化しても、やはり変えることなくこのビジョンでいこうと思いました。

コロナで実現することができませんでしたが、実施施策として起案された歌舞伎町ナイトツアー企画もまとまり開催する予定でした。これは、「女性も安心して楽しめるツアー」をキーワードに、歌舞伎町ならではの店舗や名所を巡ることのできる4つのコースを組んでいました。こうした街の魅力に触れたり発見したり、多くの方々に街をナビゲーションできるようなツアーは、この先チャンスがあればぜひ実現したいと思っています。

大塚さん:
昨年11月には歌舞伎町シネシティ広場で「歌舞伎超祭」と題したダンスやショーなど盛りだくさんのパフォーマンスイベントも行いました。同広場でのイベントは、これまで企業などが企画したものを主催することが多かったのですが、今回は初めて歌舞伎町商店街振興組合が自主的に企画を立て実行した点をはじめ、ある意味画期的なイベントになったと思っています。自分たちなりの手作りイベントながら、我々も自ら企画起案したという意識が生まれ、第一歩を踏み出せたことは良かったのではないかと感じています。2年前に有志で議論を始め、「世界一」を目指したことが、ほんの少し実現しはじめているところです。

歌舞伎町で行われるそれぞれのイベントが、独立しつつももう少し有機的に一つの流れで互いに刺激しあうことができれば、付加価値も高まるのではないかと思います。振興組合が街の方々を後押しするような存在として、街のためにこれからも活動していけたらと思っています。

お好み焼き全18種、もんじゃ焼き全25種類のほか鉄板焼きのメニューも豊富で若い女性も多く来店する。たこ焼きが焼けるのも人気。特にインバウンドは「作る過程そのものが楽しい」と楽しむ観光客が多い。

編集部:
歌舞伎町はこれからの東京、そして日本を象徴する街としての大きなエネルギーを秘めているのですね。

大塚さん:
世界中から観光客が、まっさきにこの歌舞伎町に行きたいと目指してくださるような街になれたらいいですね。歌舞伎町シネシティ広場という空間も積極的に活用し、イベントを質量ともに拡大していけたら良いと思いますし、そんなエンタメシティにふさわしい店舗や施設を少しずつ誘致拡大できればと思っています。

どんどん浄化しきれいな街として新しい姿になっていくのは、少し矛盾するようですが、同時に他の街と似て均質化してしまうのではないかと危惧してもいます。安心して遊べるということは絶対必要ですが、行き過ぎてしまうとどこも同じような街になってしまう。そこも踏まえながら魅力的な街の創造に向けて、活発に活動をしていけたらと思います。

お好み焼 本陣
東京都新宿区歌舞伎町1-17-2 7階

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歌舞伎町文化新聞編集部の略称アイコンです。

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