歌舞伎町の入り口で人々を迎える街のシンボル
「歌舞伎町一番街アーチ」

2021.01.22

新宿にはさまざまな街の風景が広がるが、「新宿」と聞いて多くの人が思い浮かべるアイコニックなスポットといえば「歌舞伎町一番街アーチ」ではないだろうか。靖国通り沿い、歌舞伎町の街の入り口とも言える場所に架けられ、ネオン街の中でもひときわ華やいだ光で人々を迎え入れるアーチは、ガイドブックをはじめニュース映像、映画やアニメーション作品などにも繰り返し登場し、国内にとどまらず、海外でも知られる存在となっている。

「歌舞伎町一番街アーチ」が、現在のようなデザインのものとして設置されたのは1969(昭和44)年のこと。2013(平成25)年には、それまでのデザインを踏襲しつつ老朽化に伴う改修工事も行われた。埋め込まれていた電球は、環境へ配慮したLED電球600個に変わり、上部に取り付けたソーラーシステムは停電時などに活用できるという。

歴史を振り返ると、今の姿のアーチが設置される以前からこの場所にはアーチがあったことがわかる。資料で辿ることができた一番古いアーチの姿は1957(昭和32)年頃のもの。初代と思われる一番街のアーチは、ちょうど歌舞伎町の街が賑わい始めたという昭和30年代には、すでにこの場所に立っていたのである。

1957(昭和32)年頃の様子(提供:歌舞伎町商店街振興組合)1957(昭和32)年頃の様子
(提供:歌舞伎町商店街振興組合)

戦後復興の中でいち早くまちづくり計画が立てられ、もともと「つのはず」という名前だったエリアが、新たに「新宿区歌舞伎町」の名に生まれ変わったのは1948(昭和23)年のことである。当時この界隈に立ち並び始めたのは、木造の住宅と生活に必要な牛乳屋、酒屋、履物屋といった商店だった。現在の「歌舞伎町シネシティ広場」の周りに1947年(昭和22)年、映画館「新宿地球座」、1951(昭和26)年に「新宿オデヲン座」が完成し、1956年(昭和31)年には「新宿コマ劇場」、映画館を擁する「新宿東急文化会館」(翌年スケートリンク併設)が開業すると、劇場街を訪れる観客の増加とともに商店の数も増え、街は華やかな賑わいをみせるようになる。

歌舞伎町のまちづくりを先導した鈴木喜兵衛は「街の中心には歌舞伎を上演出来る劇場を建設し『東京の健全な娯楽センター』にしていく」とその計画について述べているが、当初の「菊座」(歌舞伎劇場)誘致は実現しなかったものの、エンターテインメントを中心とした商業街の姿は現実のものとなった。
先の初代一番街アーチ、そして1972(昭和47)年に歌舞伎町一番街の入り口を捉えた写真のアーチには、喜兵衛の言葉にあるのと同じ「娯楽センター」の文字が見える。

1972(昭和47)年頃の様子(資料提供先、所蔵先:「新宿歴史博物館」)1972(昭和47)年頃の様子
(資料提供先、所蔵先:「新宿歴史博物館」)

「歌舞伎町一番街アーチ」が架かる通りには「劇場通り」の名前がついている。同アーチの真横に立つ「SUZUYAビル」5階のとんかつ店「すずや新宿本店」をはじめとするとんかつ店を手掛ける「株式会社すずや」社長の杉山元茂さんは、「昔は『新宿コマ劇場』をはじめシネシティ広場(現名称)を囲む四方の劇場すべてが、広場に面した場所にエントランスを設けていたので、その劇場街に続くこの通りに『劇場通り』の名がついたのでしょう。劇場隆盛のころは、『歌舞伎町一番街アーチ』の前に地方から観光バスが到着して、大勢のお客さんがアーチをくぐって劇場へ向かう姿がよく見られました。まさにこのアーチが、劇場へ向かう出入り口のような感じだったのではないでしょうか。」と振り返る。

新宿高野や紀伊国屋書店が並ぶ、現在の新宿大通りを走っていた都電が1949(昭和24)年、靖国通りに移設してからは、起点となる停留所「新宿駅前」が「歌舞伎町一番街アーチ」のはす向かいに開設されたこともあり、付近は常に多くの人で賑わっていたようだ。

都電が廃止となったのは1970(昭和45)年。時を同じくして歌舞伎町周辺にも10階建て近いビルの建設が目立つようになってくる。
「アーチが架け替えられた時期は、一番街、そして歌舞伎町が大きく変貌する時期であった」と当時の町会長、新井淳さん、中村俊夫さんは記している(「歌舞伎街町60年 歌舞伎町商店街振興組合の歩み」より引用)。同時代にアーチが刷新されたのは、こうした近代化の街の時流に沿ったものだったのかもしれない。

かつては、アーチ上部に電球の飾りがついていたかつては、アーチ上部に電球の飾りがついていた

さて、現在使われているアーチのデザインだが、一体どのような意味が込められているのだろうか。歌舞伎町商店街振興組合 事務局長の城 克さんは「設置当時のことを知る人はもうほとんどいないのですが、人が両手を上の方に広げて『いらっしゃいませ』とお客さまを迎える姿と、下の方にさげて『ありがとうございました』と感謝する姿を組み合わせた、というように聞いたことがあります」と話す。

このアーチは、歌舞伎町の街が現在のような多様なエンターテインメントを中心とした商業の街に成長する軌跡に関わってきた人々を、そしてその多様な楽しみに出会いたいと期待を胸に訪れる数々のお客さまを迎えてきた。この街が日本を元気にする娯楽の街として育つことを夢見た鈴木喜兵衛の思いは、今に至る歴史の中で多様な形で実現してきているといえる。「歌舞伎町一番街アーチ」は、すべての来訪者を温かく迎えるお出迎えの象徴なのだということを忘れないでいたい。

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