株式会社カブク
代表取締役CEO 稲田雅彦さん インタビュー

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2013年1月、渋谷の小さなコワーキングスペースでスタートした「カブク」は、「ものづくりの民主化」をコーポレートスローガンに掲げ、3Dプリンターを活用したその事業展開で、日本の製造業に一石を投じた。ベンチャー企業、個人がモノづくりすることができる新たな時代へ。「カブク」を起業した代表の稲田雅彦さんにお話を伺った。

世界の新たな潮流を目の当たりにして

大学時代はAI(人工知能)を専門に研究されていたと伺いました。

今でこそすごく流行っていますが、10年前にはAIの研究分野はそれをメインとした大した就職先もなくて、あっても研究か金融業くらいでした。学生時代、私はAIを使ったメディアアートみたいなこともしていて、AIを使って自動的にライブ演奏するようなインスタレーションを自分で作ったり、それを持ってイギリスにライブに行ったりもしていました。渋谷のナイトクラブで、レギュラーでDJ活動をやったりもしていて、クリエイティブなものやデザインをテクノロジーと絡めてやるということが好きな学生でした。

そうしたこともあり、クリエイティブ業界は近しい部分があると感じて、卒業後、博報堂に入社しました。ちょうど広告の世界も、メディアアートの様なデジタルを使ったキャンペーンやビッグデータを使ったマーケティングなど、広告のデジタル化の先駆けのような時代にあって、博報堂時代にはクリエイティブなことのほかに、AIを使い、膨大なデータを組み合わせて一人一人に合わせた広告を作ったり、テクノロジーを使いながらどう人の心を動かすか、といったようなことも考えたりいろいろな戦略や施策のプランニングをしていました。大学の先輩だったチームラボも当時すごく人気になっていましたし、メディアアートが活況だった時のど真ん中にいて、仕事をしていました。

その頃、私が社内で手がけたものには、例えばスマートフォン向け宅配ピザ・アプリがあります。GPS機能を活かし公園でも海でも、自分が今いる場所にピザを届けてもらえるサービスでしたが、その面白さが爆発的にヒットして、いろいろと賞もいただき、結果として2年で売上総額が10億円を突破しました。ほかに、大手広告会社のキャンペーンCMシリーズなど、TVCMのマスメディアなども手がけさせていただきました。これらもあくまでデジタル施策の延長としてプランニングしていました。

私が関わっていた世界はいわゆる「広告」ではなくて、メディアを買ったりイベントをしたりする以外にもWEBやアプリ、事業開発などなんでもやろうという部署だったので、広告にいろいろなものを掛け合わせて話題を創り出すことを絶えず考えていました。「ゼロから何かを起こそうという発想」を基にCM、WEB、サービス、アプリから、時にロボットのような「モノ」まで作っていました。それらは事業開発であり、サービス開発でもありました。基本的には何をするにしても世界初、少なくとも日本初をねらっていましたし、当時関わっていた方々は結果としてそれぞれ独立するなど現在は多様な方向に進んでいますが、クリエイティブの最先端にいて、日々忙しいながらもエキサイティングな日々を過ごしていました。

より「モノづくり」の方向へシフトされたのには何かきっかけがあったのでしょうか?

当時、アメリカ西海岸のスタートアップと組んで仕事をすることもあったのですが、そこで強く感じたのは「デジタルの民主化の流れ」です。

「フレネミー」という言葉(フレンドとエネミーの二語からなる造語)が一番象徴的だったのですが、「一部敵でも一部は友なのだから一緒にやろう」という考え方です。アメリカの西海岸を中心に、同類でありながらライバルでもあるフレネミーな企業やチームが互いにオープンに一つの仕事に関わり、結果として大きな山を登る(成果を得る)という、今でいうオープンイノベーションの波が広がっていました。日本では、まだまだ一部ライバルとなるのであれば、互いの企業秘密にも影響しかねないと一緒に仕事をするのはやめておこうとなりがちですが、この言葉とともに行動し始めた企業たちは発想が真逆でした。

テクノロジーの世界を包み始めたデジタルの民主化の思想の波と、ビッグデータ、AIなどさまざまな新しい技術を活用する企業が次々に社会を変えるような変革を起こしていく時代の流れを目の当たりにしながら、彼らの根底に流れる「デジタルの民主化」という思想は、かっこいい、「ロック」だな、と思ったんですね。学生時代、音楽にも浸っていた僕は、そんなふうに思ったんです。

自分が学生時代に学んでいた人工知能の技術世界もそういう意味ではかなりロックな世界でした。金融から、バイオやロボット、アート、コンピューターサイエンスといったAIにまつわる、さまざまなジャンルの研究者がたくさん集まって、「俺らが世界を変えるぞ」という心意気を日夜飲みながら語り合いました。でも現実は、そうした心意気は持ちつつも、何もできない不甲斐なさも感じていました。まだまだマイノリティだったし、昨今の様な状況になるとは誰も思っていなかったのです。

「モノづくり」に対して何か具体的なイメージがあったのでしょうか?

自分で「新しいこと」を立ち上げるのだったら何をしようかと考えた時に思い浮かんだのは、出身である東大阪の町工場の風景でした。中小企業や工場が集まる地域ですが、「まいど1号」(2009年に打ち上げ成功)のような人工衛星を作るなど、キラリと光る技術を持っている小さな企業がいくつもありました。

しかし、大手も含め製造業が右肩下がりになる中で、自分のルーツでもある地域で3割近くの中小工場が潰れていく現実を見て、「このままではいけない、このキラリと光るモノづくりの人々に貢献したい、元気にしていきたい」という想いがありました。

そこで「カブク」と名付けた会社を起こされたのですね。

モノづくりを元気にする事業をしてみたいと起業を考えた時、僕なりの発想でこれまでの製造業とは違うアプローチ、違う山の登り方があるんじゃないかと考えていました。今までと同じ方法だと非常に時間もかかるし、大きな山を登れないかもしれない。でもそこに「デジタルの民主化」の考え方を持ち込めば、これまでとは違うより大きな山の登り方ができるんじゃないかという思いで立ち上げたのが、この「カブク」という会社でした。

「歌舞伎」の語源でもある「カブク」とはもともとは頭を傾けるという意味で、江戸時代に「かぶいていた者たち」というのは、その当時変わった行いをしていた人たちです。それが最終的に歌舞伎という伝統芸能になり、文化になっていきました。

彼らの「カブク」という行為は、今でいうとイノベーションみたいなものではないかと思いました。つまり新しい価値観の発見と創造だと思うのです。我々も、モノづくりの世界を新しくしていくために、モノづくりの世界で「かぶいていこう」という信念を掲げています。「モノづくりの民主化」というビジョンは創業からずっと変わっていないんですね。「デカイ山登ろうぜ、カブイていこうぜ」という思想が、わりと強烈にあると思います(笑)

単純にテクノロジーや技術だけで事業を大きくするということではなくて、最終的に世の中を変え、「カルチャーを作っていこう」というのが、我々としてはとても大事にしているところです。グローバルな事業を行なっていますが、世界へ出て行く時にも日本の思想というか、生き様みたいなものを残したい、ということであえて企業名に日本名をつけているというところもあります。

事業のメインは「カブクコネクト」という製造サービス事業ですね。

試作、特注品生産を行うオンデマンド受託製造サービスです。そもそもは、2009年に家庭用3Dプリンターの特許が、2014年に産業用3Dプリンターの特許が切れ始めたという大きな変わり目があって、製造業も変革の境目にあると実感し、この世界で起業しました。

「Milee」自動運転技術のティアフォーとカブクの協業

「Milee」自動運転技術のティアフォーとカブクの協業

これまで試作品でも、金型から起こして作ろうとすると数百万を越える莫大なコストがかかりました。最終的な完成品も採算が取れるよう最低1,000個、1万個と作るのが普通で、一般の人どころか、ベンチャー企業でもなかなかできません。ところが、3Dプリンターを活用すれば、設計データさえ送ってもらえれば最低1個の試作品でも製造が可能、数時間でモノが作ることが可能になりました。パっと頼んで、パッと作る、そんな早いモノづくりができるようになるきっかけが、3Dプリンターであったり、3D CADの無償化だったり、ハードウェアのオープンソース化だったりしたのです。そこで、我々は全世界の3Dプリンター工場とネットワークして、ユーザーがWEBで見積もり、試作、製造をできるようにしました。

海外にも膨大な工場のネットワークを築かれましたが、それはどのような段取りを踏んでいったのでしょう?

最初は、ほんとに一歩一歩でした。自分たちでお付き合いしたい会社を調べてメールでお声がけし、徐々に仕事で連携できる企業を増やしていきました。日本では直接会いにいかないと、仕事を始められないこともまだまだ多いですが、海外はスカイプやメールを使ってどんどん話を進めて行くのでスピードも早いです。最近は、いろいろな案件、プロジェクトが世界のメディアでも取り上げてもらえるので、逆に連絡をいただくことも増えました。現在世界30カ国、400近い工場、多様な特徴、スキルを持つ企業へ製造依頼ができるネットワークになりました。

単純に1個からモノを試作する、完成品を作る、といったことだけではなく、その前の段階にある企画、設計やデザインも手がけ、企画から製造までモノ作りのためのプロデューサー的な機能も担っているのが「カブク」の特徴でもあります。工程の裏側を自動化したり生産効率を高める技術、例えば自動見積や製造、故障予知などのために、クラウド技術やAI技術を活用しています。

大手企業、大学、スタートアップとともにさまざまなジャンルでモノづくりに関わられていますね。

例えば、TOYOTAさんと共同で開発した「i-ROAD」(バイクのようなコンパクトさを兼ね備えたパーソナル都市型モビリティ)のカスタマイズサービスがあります。WEBサイトから好みでセレクトしていけば、フロントパーツを好きな質感やカラーに変えたり、自分のイニシャル入れたり、自分だけの世界に一つのものを買うことができるトライアルサービスです。3Dプリンターは金型がいらないのでそれぞれの好みに合わせて1点から作ることが可能です。

Hondaさんとも世界最大級の3Dプリンターを使ったカスタム車両を共同で開発しています。鳩サブレで有名な豊島屋(鎌倉市)さんの地域宅配サービスのための車両で、狭い道でも走りやすく、宣伝も兼ねたオリジナル車両を開発しました。クライアントやユーザーのニーズに応じてカスタマイズした製品を、カブクではデジタル技術を使って製造しています。

大手自動車会社だけでなく、東大・名古屋大発の自動運転ソフトウェアのスタートアップであるティアフォーさんと組んで自動運転EVも開発しています。彼らは自動運転のOSを担い、我々はそのEV(電気自動車)の企画から設計、デザイン、試作、特注生産までを一気通貫でサポートさせて頂いています。こうしたプロジェクトは、これまでであれば完成まで2年くらいかかるというのが普通ですが、デジタル技術を使った設計、デザイン、3カ国8工場に分散して製造することで、かかった日数はわずか1ヶ月半ほどになりました。
スタートアップ同士で組み、設計から完成品まで数カ月で実現できるということが可能になったんですね。これまで大企業しかなし得なかったことが、スタートアップ同士でできるようになったことはまさに「ものづくりの民主化」だと思っています。10年前はできなかったのですから。

ここ10年で、日本にも「オープンイノベーション」といった概念は広まってきたのでしょうか? 世界の中で日本の製造業はどのような位置にあるのでしょうか?

「オープンイノベーション」といった言葉も、多くの人が知るところとなってきて変わりつつありますが、本質的に実態がそのようになったかというとまだまだな部分が多いと思います。まだまだ下請けのカルチャーがありますし、オープンイノベーションとしてのプロジェクトは、携わるプレイヤー全員がクレジットされると良いと思うし、入れるべきだと思うんですね。それが互いへのリスペクトだと思っています。

日本のモノづくりは、リスクに対して寛容ではないことも多く、過度に職人主義的になったり、感情的にこれまでの技術にこだわりすぎたりして、新しい技術にチャレンジしない保守的なところもあります。3Dプリンターや他のデジタル技術の導入は世界と比べて少なくとも数年は遅れている状況です。

大企業やスタートアップ、中小企業、大学など、それぞれと組んで協業もできる状況になってきましたし、国としても「コネクテッド インダストリーズ」という概念を提唱し、第四次産業革命の中、モノづくりに関していろんなプレイヤーを繋ぎ、デジタル化していこうと動いています。この先、日本は労働者数がどんどん減っていくので、デジタル化して生産性を上げていかないといけないというのがこの先、国も企業も直面している課題です。

最終的にモノづくりの未来がどのような姿になったら良いと思われますか?

2012年に「MAKERS 21世紀の産業革命が始まる」(クリス・アンダーソン著)が出て、アイディアとラップトップさえあれば誰もがモノづくりができる、誰もがメイカーズ(=作り手)である、というムーブメントが話題になりました。

「カブク」でも、3Dプリントプロダクトのマーケットプレイス「rinkak(リンカク)」というサービスを提供しています。3Dデータがあれば、1個から物を作って売ることのできるアジア最大級のサービスです。日本だけでなく、ドイツやイタリアやアメリカなどさまざまな国のクリエイターが所属していて、自分のプロダクト(データ)をアップロードし、出品しています。買い手は欲しい商品をワンクリックするだけ。カブクから自動で発注され、3Dプリンター工場で製造され、一人一人のもとに商品が届けられます。

大手ゲームメーカーがリリースしたゲームアプリにも同サービスの採用実績があります。ユーザーが、ゲーム内でカスタマイズしたキャラクターのフィギュアをアプリ上から注文すると、最適な工場で1個から生産され、届きます。こうした新しい、一人一人にカスタマイズされたマス・カスタマイゼーションという少量多品種のモノ作りもどんどん拡がっています。「rinkak」は、取引量はまだまだ多くはないですが、「一人一人が製造者になれる」、我々の理念を象徴するようなサービスだと思います。

モノに魂を吹き込むのは人であるので、デジタルのモノづくりの先端を行きながらも、3Dプリンターの技術に漆や藍など昔の伝統工芸の技術を組み合わせるといった、エモーショナルなチャレンジもあります。「rinkak」は現在1万人以上の会員がいますが、「モノづくりの民主化」というヴィジョンを体現していて、将来的にはさらに大きくなっていくはずです。

まさに名前の通り、歌舞伎町に移って来られましたが、新宿の地で今後、何を目指していかれますか?

今のスタートアップは、都内各地にも増えましたが、やはり渋谷での起業がまだまだ多いです。徐々に成長して20〜30人になると手狭になり、それ以上の規模で仕事するには渋谷にはあまり場所がない、もしくは家賃も高いのであちこちへ巣立っていきます。今は五反田や、六本木、新宿あたりが多いですね。カブクが名前の通り、歌舞伎町に移ったのはよい物件との出会いで、本当に偶然でした(笑)

新宿は外国人が選ぶ観光地ランキング1位にもなりましたし、デジタルという観点で言えば、まさに外国人がイメージするカオスなデジタル感の象徴のような街だとも感じます。巨大なデジタルサイネージが並ぶ大通りには、花園神社やゴールデン街もあって、ビルの上にはゴジラもいる。コンパクトな中にあるそのギャップ、歌舞伎町はまさにサイバーパンクな街です。

私自身は、昭和の名残を感じる古い喫茶店や映画館、渋くて少しダーティーでアダルトな香りに、新宿のカルチャーを感じます。ここには昔からの時間の経過があり、そこが新宿のカルチャーの味わい深さではないかなと思います。そういう意味では、渋谷は若者のカルチャーだし、スタートアップカルチャーや、クラブ、ファッションカルチャーはあるけれど、いぶし銀な感じはほとんどないですよね。新宿はこの愛すべきいぶし銀なカルチャーが好きです。

人の意識が変わり、行動が変わり、それがちょっとしたコミュニティになり、いろいろな人を刺激してムーブメントになり、その先、カルチャーになっていけばいいと思っています。人が変わるには人の意識を変えないといけない。意識を変えてからでしか行動は変わらないので、そこは一番難しいところだと感じますが、我々が独りよがりでやっても何も変わりません。だから重要なのはコミュニティづくりだと思っています。カルチャーを作るとかムーブメントを作るというのは「人」でしかできないこと。そうしたクリエイティビティというのはAIにはできないからこそ重要で、そこは人の活きる土俵だと思います。

「グローバル」と密につながっている時代だからこそ、「ローカルコミュニティ」をどう作るか、どう強いコミュニティを作るかというのが今の世の中こそ重要な時はないと思います。

今は我々みたいなスタートアップが増えつつありますし、新しいチャレンジをするする人がこれからもどんどん出てくると、日本は大きく変わっていくと思います。

「2歳上の先輩」じゃないですが、身近にチャレンジをしている先輩、友人、知人がいると「俺でもできるんじゃないか」と思いますよね。近しいところにチャレンジする人が現れると、周りも応援するし、応援する流れができていくとそういったコミュニティもでき、自分が受けた恩をまた次へ送っていく。コミュニティーが拡がって大きなうねりとなり、モノづくりの世界だけでなく、新宿、東京、全国、日本中が元気になっていったらいいなと思います。

株式会社カブク https://www.kabuku.co.jp