文豪・夏目漱石が生まれ育った街、新宿
漱石を辿る初の本格的記念館 「漱石山房記念館」

2020.04.10

「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「草枕」など、数々の作品を手掛けた日本を代表する小説家・夏目漱石(18671916/慶応3〜大正5)。ファンのみならずかつて教科書で読んだ人や、千円札に描かれた肖像画で馴染みのある人も多いに違いない。さて、そんな漱石の出身地はどこであるかご存知だろうか。

実は漱石は新宿区で生まれ育った人物だ。誕生の地である牛込馬場下横町(現在の喜久井町一番地)には、「夏目坂」と書かれた区の指定史跡を示す標識が建つ。この辺り一帯の名主だった漱石の父が自分の姓を名付けて呼んでいたものが広まり、やがて地図にものるようになったと記されている。

亡くなるまでの9年間(1907/明治40年〜)を過ごしたのも新宿(早稲田南町)で、「新宿区立漱石山房記念館」は漱石が最後に住んでいたまさにその場所に建ち、漱石の作品世界を紹介し未来に継承、発信する活動を行っている。

「外からもよく見え、皆が入りやすい明るい建物を」と設計されたガラス張りの記念館。「漱石山房」の庭に茂っていた、トクサとバショウも植えられている。手前は漱石の胸像

同館は20179月、漱石生誕150年に合わせて開館した。館長の鈴木靖さんは「『吾輩は猫である』などを書いたのは駒込千駄木町に住んでいた頃ですが、その後1年弱、駒込西方町(ともに現在の文京区)に住んだ後、ここ(早稲田)に引っ越してきたのが9月だったのです。漱石が『漱石山房』と称した自宅に住んでいたことは新宿区も認識していましたし、以前より地元やゆかりある方から『漱石の記念館ができないか』という声がたびたび出ていたのですが、長いこと都営住宅(その後区営)が建っていたため現実的には叶わないでいました」と振り返る。

十数年前、住宅横に広がる「漱石公園」のリニューアル計画が持ち上がったことが転機となった。住民説明会に参加した学識者や子孫ら関係者から「せっかく漱石ゆかりの家があったところなのだからやはり『漱石山房』の復元を考えるべきではないだろうか」と多くの声が上がり、設立への機運が高まったという。
もう一つ、老朽化した区営住宅のバリアフリーや耐震の対策にあたって維持は難しいだろうと検討していた矢先、住宅のために別の土地を獲得し建て替えることが決まった。こうして記念館設立が現実のものとなった。

1階導入展示の様子。左手にブックカフェがみえる

記念館の入り口をくぐると、右手に漱石の生涯や人物像、家族などを紹介した導入展示、その奥には、書斎や客間、回廊を再現した「漱石山房再現展示室」が広がる。漱石が住んでいたのはモダンなベランダ式回廊のある和洋折衷の平屋建てであったが、鈴木さんは「まさにこの場所で執筆活動をしていたということから、その様子を可視化できるよう再現したいと特に区で力を入れた部分です。当時の家は空襲の被害で全部燃えてしまって残っていませんが、幸い書斎などの写真のほか、漱石の読んだ蔵書関係は東北大学付属図書館の『漱石文庫』に、ご遺族が大事に保管されてきた身の回りの遺品類は、県立神奈川近代文学館に所蔵されておりましたので、この2つの機関に全面的にご協力いただいて再現することができたのです」と話す。2階には通常展と特別展などを行う展示室、地下に図書室と講座室を設ける。

再現された「書斎」。残された写真に写っていた「漱石山房」の壁にかかる絵画(現存)から広さは10畳だったと割り出し、絨毯や机、書棚の中の本などもつぶさに再現した

「開館後は文学に関心ある方、作品や人柄も含めて漱石のファンであるという方が多くお見えになりました。よく『北海道から沖縄まで』と言いますが本当に全国からいらしてくださり、漱石が国民的な、まさに日本の文豪であることを強く認識いたしました。(漱石が教員として赴任した)松山や熊本から来館された方々に『なぜ新宿に記念館があるのですか?』とご質問をいただくこともあります(笑)。新宿生まれであることや『三四郎』『門』『こゝろ』などをこの場所で執筆したこと、作品の中にもたくさん新宿が出てくることなどをお話しすると、みなさん、なるほどと新たな発見をしてくださいます。『草間彌生美術館』が当館オープンの半月後すぐ近くに開館したこともあって、そちらから足を運んでくださる外国の方も多いです。漱石の作品は外国語にも多く翻訳されているので多くの方が知っていらっしゃるようです」と鈴木さん。

書斎に座る漱石(大正3年12月)

特別展やテーマ展示のほか、昨年から年に数回アニメなどとコラボしたイベントも行い6070代以上が多かった来館者に加え1020代の来館者も増えてきたという。「最近のアンケートでは4050代の来館が多いように思います。カフェなどもありますし、みなさんに居心地の良い空間と感じていただけるようになってきたのであれば嬉しいです」
「新暦で漱石の誕生日に当たる日に、『29日朗読会』と題した朗読会も昨年から始めました。普段講座室を利用している朗読団体が代わるがわる、漱石やその門下生の方々の作品を朗読します。今年は立ち見も出るほど好評で、通算で101人の方が参加されました。文学作品というと静かに一人で『読む』イメージがあって、それももちろん大事だと思うのですが、声に出して読まれる作品を『聞く』というのも、また違う魅力があると感じます。それぞれの読み手の個性もあり、聞いていて非常に楽しく新たな発見があります。魅力ある企画として今後も続けていけたらと思っています」と鈴木さん。

「区民の方には是非来館いただければと思っていますが、日本で最初の本格的な漱石記念館になりますから、いろいろな形で漱石に関する情報発信を行ったり、何か漱石について新しいことが発見できたりするような、東京に行ったらぜひ立ち寄りたいと思ってもらえる親しみのある施設にしていけたら」と鈴木さんは期待を込める。

夏目金之助から松根豊次郎宛 葉書「猫の死亡通知」(明治41年)。「吾輩は猫である」のモデルともなった猫が没した時に漱石が門下生に宛てたもの

取材の最後、鈴木さんから漱石が開いていた「木曜会」の話を伺った。
「毎週木曜日の午後を面会日と決め、門下生たちが『漱石山房』に集まっていて、晩年では芥川龍之介などもいました。作品を書いていただけでなく人を育てたという、小説家とはまた違った漱石の非常に重要な一面がうかがい知れます。

夏目金之助が橋口清に宛てた書簡。「吾輩は猫である」の装丁を手掛けた橋口に「表紙の模様は上巻のより上出来と思ひます」と綴っている

記念館2階に上がっていただいてすぐの廊下部分に、漱石の文章を引用しているパネルを展示しているのですが、有名な小説からの一文のほかに何点か手紙文があります。漱石は手紙を書くのももらうのも大好きで、1日に何通も書いていたような人でした。

有名なものに、武者小路実篤に宛てた手紙があります。実篤はデビューしたばかりの頃、文芸雑誌に猛烈に批判されたことがありました。それに対して慰める文章を漱石が書いていて、実篤は後々『手紙をもらって感涙した』と残しています。

手紙を読むと漱石の書く言葉の力強さを非常に感じます。門下生たちに対して非常に長い文章で、厳しいことも言っていますが、本当に彼らのことを信頼し、ことのほか気にかけ、自分の思うことを伝えているのですね。現代ではLINEやメールなど簡単にやりとりができますが、当時は当然手紙しかありません。手間暇かかる手紙でこれだけの力強い文章を出すというところからも、漱石のすごさが感じ取れると思います。もし現代の世に住んでいたらSNSをどう使ったのかな、なんて思いますけれど(笑)。」

「新宿街史6」で紹介した江戸時代に生きた太田南畝然り、新宿には、この街に生まれ、後世に作品を残した多くの文化人がいる。新宿の「土地の記憶」を伝える「漱石山房記念館」で改めて漱石作品に、かつての新宿の姿に触れてみてはいかがだろうか。

「新宿区立漱石山房記念館」
東京都新宿区早稲田南町7
館時間 10時〜18時(入館は1730分まで)。月曜休館(祝日の場合、直後の休日でない日)。観覧料(通常展)一般300円、小・中学生100円(観覧料免除日あり)。特別展などは内容に準ずる。

※新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、2020年5月10日まで臨時休館(4月8日現在)。
詳細については「新宿未来創造財団」ウェブサイトにて随時更新。

 関連リンク 
https://soseki-museum.jp

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