創業120周年を迎えた「新宿中村屋」
芸術家とも親交の深かった創業者の思いをつなぐ

2022.10.31

新宿の東口駅前に本店を構える老舗、中村屋が202112月、創業120周年を迎えた。その歴史は1901(明治34)年、相馬愛蔵、黒光(こっこう)夫妻が東京・本郷(現在の東京大学正門前)にあった「中村屋パン」を居抜きで買い取り、店名もそのままに営業したことに始まる。
中村屋が元祖であるクリームパンは、常に「お客を第一に」と考える夫妻が栄養価の面でも良いのではと1904(明治37)年に考案し看板商品となった。人気の中華まんじゅうも、夫妻が中国旅行中に食べたパオズをきっかけにこれを日本人好みに改良したもので、中村屋の代名詞の一つとなっている。

創業者 相馬愛蔵・黒光夫妻

新宿に出店したのは1907(明治40)年。支店出店の必要性を考えた夫妻が実際に周辺の町を視察し、まだ場末で殺風景ながらも愛蔵が「その土地には隆興の気運が眼に見えぬうちに萌(きざ)していた」(相馬愛蔵『一商人として』)と感じ取った新宿に目をつけての出店だった。始めは本郷でパンを作り運んでいたが、やがて新宿店が繁盛して運ぶのでは間に合わなくなり、2年後、現在の場所に製造場を設けた店舗を作り、本店としたという。

新宿の現在地に移転した当時の新宿中村屋

「中村屋」と言えば「純印度式カリー」が有名だが、これはインド独立運動で活躍したラス・ビハリ・ボースとの出会いがきっかけとなる。1915(大正4)年、愛蔵は英国から追われ日本に亡命するも国外退去を命じられていたボースをかくまうなど、中村屋は異国人が集まる場所ともなっていた。ボースは後に夫妻の娘・俊子と結婚。1927(昭和2)年、喫茶部(レストラン)を開設するにあたり中村屋の役員になっていたボースが提案したのが本格的なインドカリーの販売で、これが中村屋の名物料理となっていく。大正になり洋食が広まる中で、中村屋は洋菓子職人やロシアパンの職人を雇い入れ、洋菓子を販売するようになるなど成長を遂げる。

地下2階のレストラン&カフェ「Manna(マンナ)」

飲食事業と合わせて中村屋を紹介する上で欠かせないのが、芸術家との深いつながりである。長野出身の愛蔵は若い頃から思想家、ジャーナリスト、政治家、教育者といった人物との交流があった。黒光は仙台出身で、本人も文学を志す中で画家らとの親交があり、夫妻は中村屋に集まってくる若い芸術家たちを支援した。

中村屋は201410月に「新宿中村屋本店」を商業ビル「新宿中村屋ビル」に建て替える際、「中村屋サロン美術館」を併設した。同美術館事務局長の田中茂穂さんは「特に黒光は非常に文化や芸術に造形が深かったのですが、彫刻家の碌山(ろくざん、本名・荻原守衛)を中心に芸術家、文人、演劇人らが自然発生的に中村屋に集まってきました。碌山は愛蔵と同じ長野出身で、自分を芸術世界へ導いてくれた黒光に恋心を抱いていたとも聞いていますが、遊学先のパリから帰国後、西口にある現在の工学院大学の方にアトリエを構えたこともあり、歩いて中村屋までよく来ていたそうです。夫妻の子どもたちと遊んだり、中村屋の商売の手伝いをしたり、一緒に夕食を食べて帰るなど家族的で温かな付き合いだったようです。彼らを慕って中村彝(洋画家)や高村光太郎(詩人)、その後には曾津八一(書家・美術家)といった人たちが集まり、そうした人と人とのつながりが後に『中村屋サロン』と表現されるようになりました」と話す。

新宿中村屋ビル
亡き碌山を偲んで集まった芸術家たち

美術館を併設した経緯については「中村屋本店の地として根を張ってきた新宿のこの場所で、創業者夫妻の人との関わり、特に芸術家たちを支援してきたその歴史を大事にしていきたいという思いから『中村屋サロン』の名前で、所蔵する美術品を紹介する空間を作ろうと考えました。美術館というある種特殊な空間を作るにあたっては、専門家に相談するほか、ご縁のある長野・安曇野の碌山美術館にも多分にご指導いただきました」と振り返る。

「中村屋サロン−ここで生まれた、ここから生まれた−」と題した開館記念特別展を皮切りに、夫妻と交流のあった芸術家など、かつての中村屋サロンにゆかりある人たちの作品を中心にしたコレクション展示を続ける。加えて春に「中村屋サロン アーティストリレー」、秋には日本の近代美術を紹介する展示も行う。

「中村屋サロン−ここで生まれた、ここから生まれた−」

「創業者夫妻の思いを十分に踏まえ、人と人とのつながりを大事に、できる限り若い芸術家を支援していきたいと始めたのがアーティストリレー企画です。展覧会に参加してくださった方に次の芸術家を紹介してもらい、バトンを渡していく形でこれまで4回、合わせて8人のアーティストが展示を行いました。若い芸術家さんは発表の場が限られていると思いますので、第一は発表の場を用意したい。その為には新宿駅からも非常に近いこの立地に美術館があることをもっと知ってもらう必要があると考え、サロンコレクションから少し視野を広げた内容で展開しているのが秋の展示です」と田中さん。

中村屋サロン美術館

美術館という文化的な発信の場ができたことで、お客さまに伝えるだけでなく、中村屋としての事業体を含めての価値、歴史的な財産などを従業員も改めて確認することにも至ったという。中村屋広報部・CSRの髙橋由未子さんは「昨年120周年を迎えた際、企業理念もより創業者の信念をわかりやすい、端的なものにしようと新しく変わりました。社員全員が創業者の思いに立ち返り、創業した当時の思いを大事にしようという気持ちを新たにしたと感じます」と話す。

「新宿地区には記念館など文化的な施設も多く、以前からつながりはありましたが、やはり自社の美術館ができたことでより深く教えてもらう機会が増えるなど、人の繋がりが広がっているように感じます。中村屋が出店した時には本当に田舎町だった新宿ですが、現在は世界一ともいわれるターミナル駅があって人の往来が多く、全体を見渡してみるとエリアごとにさまざまな表情をしています。駅の東西で開発が進んでいますが、我々のように長きにわたり商売を続けている店もありながら、これからきっと見たことのないような新しいものも誕生するのではないでしょうか。それらがきっとそれぞれのエリアで完結するのでなく、互いに関係性を持ってつながり合い、新宿の街を発展させていくのではないかと思います」と田中さん。

創業者の思いを受け継ぎ、食と芸術どちらも「人と人とのつながり」を大事にする中村屋。買い物や食事の後、一息ゆったりと美術館に立ち寄って、長い中村屋の歴史に思いをはせつつ、この場所を愛した芸術家たちの作品に触れてみてはいかがだろう。

(写真提供 「新宿中村屋」)

関連URL

新宿中村屋
https://www.nakamuraya.co.jp

中村屋サロン美術館(東京都新宿区新宿3-26-13 新宿中村屋ビル3階)

開催中の企画展示「鴨居玲展 人間とは何か?」
開館時間:1030分〜18(最終入館1740分まで)。休館日:毎週火曜日。入館料:500円(高校生以下、障がい者手帳提示のお客さまと同伴者1名無料)。

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