2023(令和5)年に創立から100周年を迎える文化服装学院。高田賢三、山本耀司、コシノヒロコ、コシノジュンコらトップデザイナーをはじめ、アーティスト、ファッションディレクター、スタイリスト、モデルなどファッションの世界で活躍する人材をこれまで数多く送り出してきた。その名は「BUNKA」として、セントマーチンズやパーソンズなど名だたるファッションスクールと並び、海外でも高く評価されている。
創設者である並木伊三郎は、和装から洋装へ時代が大きく移り変わろうとするそのただ中で、服作りの技術をわかりやすく、そして多くの人が習得できるよう服装教育の礎を築いた人物だ。新宿駅からほど近く(所在は渋谷区)にあり、これまでに伊勢丹で学生たちによるファッションショーを行ったり、ファッションをテーマに新宿区内の店舗や施設とコラボイベントを展開するなど新宿の街との関わりも大きい。今回は文化服装学院 学院長の相原幸子さん、学務部広報課課長 村田達弥さんにお話を伺った。
編集部:
創設の歴史をお聞かせください。
相原さん:
1919(大正8)年、並木先生が当時の東京市赤坂区青山に「並木婦人子供服裁縫店」を開設、その店内に創設した「婦人子供服裁縫教授所」が始まりです。シンガー・ミシン会社で宣伝・販売を担当されていた遠藤政次郎先生と出会い、これを発展させ1922(大正11)年に創立したのが「文化裁縫学院」です。翌年、国内初の服装教育の学校として認可を受けました(「文化裁縫女学校」と改称)。
裁縫教授所の最初の生徒さんは4人。本当に小さなところから始まって、この約100年の間に当学院をはじめ附属幼稚園から大学、専門職大学院、研究施設などを有する文化学園へと大きく発展してきました。
村田さん:
実は新宿エリアとは早くからご縁があって、「文化裁縫学院」は新宿区内(現在の袋町、神楽坂界隈)に開校しているんです。生徒数が増えて校舎が手狭になり、移転したのも新宿二丁目の大宗寺前でした。火災で校舎が焼失してしまい、一時品川に移りましたが、1927(昭和2)年、現在の場所に校舎を建設しました。木造2階建て、9教室でした。
編集部:
服飾専門、ファッション工科専門、ファッション流通専門、ファッション工芸専門と4つの課程に30の学科・コースがあると伺いました。
相原さん:
現在約3,800人の学生が学んでいますが、本当にファッションが好きな人が日本全国はもちろん、世界中から集まっています。高校生が主ですが、中には東大や医学部を卒業した方が「やはりファッションの世界のことを学びたい」と来られるなど、洋服が好きという純粋な思いを一つに、さまざまな方々が教室で一緒になって学んでいます。
編集部:
服飾を専攻される方が多いですか?
村田さん:
4課程のうち2つが服作りに関わるものなので合わせると多いのですが、1つの課程でいえば今一番人気があるのはファッション流通専門課程です。
相原さん:
憧れを抱いていた服のデザイナーやパタンナーになりたいと夢見て入学してくる方が多かった以前に比べると、近年は「ファッションの仕事に就きたい」と思って来る方が多いように感じます。ファッション業界は職域が広いことから、ファッション流通専門課程を選ぶ人が多い傾向になるのかもしれません。
小売業の実務をトータルで学ぶ「リテールプランニングコース」は特に人気です。例年文化祭でセレクトショップを運営するのですが、コロナ禍でオンライン開催になった昨年は学生たちが考え、渋谷や原宿の商業施設で期間限定店舗として販売をさせていただきました。SDGsをテーマに企画し、既存のものに手を加えたり古着を仕入れたり、オリジナルで製作し販売するグループもあります。そうした実務経験ができるところも皆さんが志望される理由の一つになっています。
編集部:
早くから海外のトップデザイナーも招聘されていますし、学生にとって憧れの卒業生も多くいらっしゃいますね。
相原さん:
1953(昭和28)年にお招きしたクリスチャン・ディオール一行、後に名誉教授になられたピエール・カルダン氏はじめ、さまざまな方が来てくださっています。学院内で開かれるファッションショーなど貴重な機会に触れられるのは当学院ならではだと思います。
卒業生は30数万人以上になりますが、皆さん出身を聞かれた時に「専門学校を出た」と言うのではなく誇らしげに「文化服装学院を出ました」と言葉にすると伺い、私は大変嬉しく思っています。卒業しても皆さんが愛着を持っていて、第一線で活躍されている卒業生が「学院のためなら」と特別講義に来てくださるなど本当に感謝しております。憧れの大先輩から直接受ける授業や生で見るショーに、学生たちも大きな刺激を受けています。
編集部:
愛着を持ち続ける、そうした学校の魅力はどこにあるのでしょうか?
相原さん:
特に1年生は主任と副主任の先生二人制で教えています。一人が黒板に向かって説明している間も、もう一人が机を周ってサポートするなど手厚い教育を行っています。クラス担任制で学生と先生の距離が近いところが、文化服装学院への愛着を生んでいるように思います。
村田さん:
意識の高い学生も集まっていて、そうした仲間との出会いも大きいと思います。思い返してみると昔はみんな新宿の街でよく遊んでいて、「ツバキハウス」や伊勢丹の隣にあった「ラジオシティ」といったディスコなどは、学生たちの溜まり場だったような気がします。学校や街の中でのそうした出会い、人と人との繋がりが非常に大きく、大事だと思っています。
相原さん:
クラス全員がヨージ(山本耀司)さんの服を着て真っ黒、そういう時代もありましたね。
村田さん:
街に出てみると周囲はそういう格好をしていないので、明確にうちの学生だとわかりました(笑)。
編集部:
新宿という街場のエネルギーとリンクするところもありますね。
相原さん:
コロナ禍で今難しくなっていますが、街には学校以外でも出会える場所があったのだと思います。在学中にチームを組み、卒業後にブランド立ち上げるなど一緒に活動する仲間に出会った人たちも多くいます。
編集部:
デジタルネイティブな若い世代はスタイルや表現方法なども変わってきていますか?
相原さん:
かつてはデザイン画をはじめ、作品のレポートなどすべて手書きでしたが、今は全然違いますね。洋服作りやメイクなど何かを制作したら自分で写真に撮り、スタイリングもビジュアルにこだわるなど、表現方法が多様に広がっています。
村田さん:
コンピューターの授業も早くから行ってきましたが、今はファッションショーをする時も、映像や音などすべて学生たちがデジタルを駆使してオリジナルで作っています。ここ数年は学校への人気も、より高まっているのですが、それはSNSがファッションと非常に相性が良く、なおかつ学生自身が積極的に発信するので、結果的にそれが学校の広報になっていることにも寄ると思います。授業の内容は基礎教育なのでモノづくり、服づくりを通して行っていますが、この学校はかなり広くいろいろな経験ができるように思います。
編集部:
その中で皆さん、自分の感性を磨かれていくのですね。
村田さん:
在学中にいろいろな経験をして自分の将来を決めてもらいたいと思っています。自分にとって「この仕事がおもしろい」というところをぜひ見つけて欲しいと、入学する学生たちに話しています。
相原さん:
文化学園にはそのための環境が本当に整っており、さまざまな施設がそろっています。ファッションリソースセンターには著名デザイナーの作品からコンテスト受賞作品、豊富なテキスタイルが並ぶ資料室などがあり、それらを直で見ることができます。映像資料も非常に充実していて、当学院で行われたショーや世界で活躍するデザイナーたちのコレクション画像などを学生は無料で見ることができます。学生たちにとってこうした環境は非常に大きいと思います。
村田さん:
図書館はファッション分野を中心に34万冊を網羅しています。書籍だけでなく『装苑』(昭和11年に創刊した国内初の服装研究雑誌)をはじめ、それこそ昔の貴族が読んでいたようなかなり古い時代の、海外のファッション雑誌的なものも資料として保管していて、ファッションを学ぶにあたって大きなメリットになると自負しています。卒業しても使えるので、プロになってからも皆さんよく利用しに来ています。
編集部:
ファッションにまつわるさまざまな資料、情報、そして体験に出会える場所なのですね。
相原さん:
敷地内には日本の小袖、近代の宮廷服や西欧の18世紀頃のドレス、民族衣装などを収蔵する、日本でも数少ない服飾専門の「文化学園服飾博物館」もあります。年4回の企画展示を通じて一般の方にも広くファッションに関する歴史や魅力を紹介しています。新宿の街の中で100年以上も前の資料を見られる場所というのは、他になかなかないと思います。早くから生涯学習にも意欲的に取り組んでいて、通信教育や単発のオープンカレッジでも一般の方に向けてファッションに関するさまざまなプログラムを提供しています。これからもこの地で、世界の舞台での活躍を目指す学生、そしてファッションに興味を持つ多くの方にとって充実した服飾教育の場であり続けられたらと思います。
関連URL
文化服装学院
東京都渋谷区代々木3-22-1
https://www.bunka-fc.ac.jp