今回座談会にお招きした中島直人さんは著書『都市美運動 シヴィックアートの都市計画史』の中で、石川栄耀が「都市の本質的な機能を人々の親和であると考え、その親和を生み出す場としての盛り場や商店街を重視」し、都市計画において商店街盛り場(商店街に基盤を有する盛り場)に力を注いだと記す。そうした石川の思想、考え方を引き継ぎ発展させたいと計画された今回の「歌舞伎町一丁目地区開発計画」。第2回は都市における歌舞伎町のような繁華街についてのお話がテーマとなった。
中島さん:
「繁華」の言葉の通り、人が集まるから賑やかになっているのであって繁華街は都市ならではの場所と言えます。都市計画というのは本来、そのように人々が集まる場所を中心としながら組み立てることではないかと考えています。コロナ禍で賑わいの灯が消えてしまいましたが、逆に「繁華街は何のためにあるのか」をみんなが考え直すきっかけになったのは良かったのではないかと思います。今まで当たり前にあった繁華街についてもう一回問い直し再構築して、次の時代の都市における意味をつけていこうとすることは大事だと思います。
私は「歓楽街」という言葉も好きです。人生は「歓楽」の字のごとく歓びや楽しみといった人の感情があってこそだと思います。石川栄耀が都市計画において考えていた哲学を最も物象化しているのは歌舞伎町のような「盛り場」だと感じますし、この街がその思いを引き継いで進んでいくというのは大事だと思います。
神河さん:
石川栄耀は、街の中で過ごす「時間」といったことにも非常にフォーカスしていたように思います。
中島さん:
石川が盛り場に注目したのは、欧米諸国に見られる「広場を中心とした街」の在り方に触れたのがきっかけとなっています。広場という空間がない日本において、人々が、神河さんが今おっしゃったような「時間を過ごせる場所」はどこだろうと考えてみた時、商店街のような盛り場がそれに当たるのではないかと彼は思ったのです。
ただ欧米の街をそのまま真似たわけではありません。石川は日本らしい広場、盛り場とはどのようなものかを探究した側面もあります。例えば、東京の浅草や名古屋の大須などの寺社門前の盛り場の構造などを参考にして、歌舞伎町の街の設計に活かしています。つまり、歌舞伎町の広場は、新宿駅方面から見ると、折れ曲がりながら進んだ道の先の奥まった位置にありますが、あれは参道の先に本殿があるといった構造を意識的に取り込んだものです。広場自体のかたちについてはヨーロッパの広場を参考にしながら、大きさや建物との関係性を考えてデザインしています。そういう意味では、歌舞伎町の街は、日本的な盛り場と欧米流の広場とが合体した非常にユニークな存在なのです。
神河さん:
今回の開発では、そうした元々ある街の骨格を活かすような都市開発の基本構想を心がけていらっしゃいますが、新たに広場に面した建物部分に、大型ビジョンとステージを設置しているところが面白いと思っています。
田島さん:
歌舞伎町シネシティ広場は「広場」という名称ですが制度では道路で、そこが僕はいいなと思っています。広場は、ともすると公園的な位置づけとなっていき、ストリート的な文化が薄まってきてしまう気がしていました。歌舞伎町の広場は、そういった意味でさまざまな景色を見せてくれています。その一方で、街の中でほっとできるような場所も作れたらとも思っていました。以前の歌舞伎町にはどこか少し怖いイメージがありましたし、ちょっと緊張感を持って繁華街を冒険した後、この広場に戻ってきた時にそこがほっとするようなセーフティな場所になればと考えました。そのためには常に使われることが必要であり、常時人がたくさん集まってくることが重要です。そこに貢献できるのが、エンターテインメントであると考え、広場を客席に見立て、大型ビジョンとステージを広場に向けて設置しました。建物の中には小さなステージをいくつか作っていますし、街なかにはライブハウスや劇場といった場がたくさんあるので、建物内外の各ステージがそれらとリンクしながら展開していければという思いもありました。
中島さん:
広場と建物の関係を非常に大事に考えて進められたというのは、本当に素晴らしいと思いました。建物が一方的に広場を享受するだけではなくて、むしろ広場に対してポジティブに働きかけ、積極的に広場が使われていくことがあるべき姿のように感じます。「こうしたいろいろな使い方ができる」と建物側がメッセージを出していくこと大事ですね。
先ほど「歌舞伎町の構造をそのまま活かして」とお話に出てきましたが、一方で西武新宿駅前通りの道路もリニューアルされていて、そちらのエリアもより良くするというプロジェクトとなっています。開発のこの部分に関しては、今までの歌舞伎町の都市構造に新しいものを付け加えていこうという意思が感じられて、何かこれまでとは違う歌舞伎町の姿を予感させますが。
田島さん:
西武新宿駅前通りは広場に対してどこか裏通り的に扱われてしまいがちでした。しかし、歌舞伎町の中では、大久保と新宿をつなぐ広幅員の道路であり、もう一度アップデートしていくことが街の回遊性を高めることになると考えました。東急一社の一つの開発で出来ることは限られています。一つの開発だけでは街の血液循環は良くなっていかないと思い、整備に踏み切りました。今回の整備をきっかけに西武新宿駅前通りのお店が道路に向かって、街に向かって開いてくれればいいなと思っています。これは結構こだわって社内、行政に対して粘り強くお話をさせていただき、実現したところです。
神河さん:
メインエントランスがある広場側だけが表なのではなく、全方位が表になるということですね。今回実現された成田、羽田との空港連絡バスの乗降場整備も大きいと思います。歌舞伎町に世界各国からツーリストがダイレクトに来てくれるようになりますから。
田島さん:
東急歌舞伎町タワーが街の一つのゲートになればという思いがありました。なかなか歌舞伎町の奥まで人が入ってこないという現状もあったので、奥まで人の流れを作る、そうした仕掛けをもって、にぎわいが街全体に波及すれば、と思っています。
参考資料
『都市美運動 シヴィックアートの都市計画史』 中島直人(2009年、東京大学出版会)
(この座談会は2022年2月21日に行ったものです)