都市計画の専門家が見る
歌舞伎町一丁目地区開発計画(新宿TOKYU MILANO再開発計画)と、
開発者のプロジェクトにかける思い
第1回 先人たちの意思を受け継いだ都市計画

2022.04.27

1956(昭和31)年に「新宿東急文化会館」として開業、2014(平成26)年に閉館した「新宿TOKYU MILANO」(閉館当時の名称)の跡地を中心とする「歌舞伎町一丁目地区開発計画(新宿TOKYU MILANO再開発計画)」が進んでいる(事業主体は東急株式会社、株式会社東急レクリエーション)。歌舞伎町の新たなランドマークともなりそうな地上48階、地下5階、塔屋1階の高層複合施設も、いよいよその外観の全貌を現しつつある。館内にはホテル、映画館、劇場、ライブホールなどを配置し、エンターテインメントを軸に、歌舞伎町という繁華街の中に核となるような都市観光の拠点を作り、まちの回遊性とにぎわいの創出を目指すという。今回は都市計画の専門家をお招きし、開発者らと行った歌舞伎町における都市開発の意味と未来への展望についての座談会の様子をお届けしたい。

建築が進む「東急歌舞伎町タワー」

(座談会メンバー)
中島直人 = 1976年東京生まれ。東京大学 工学系研究科都市工学専攻 准教授
著書に「都市計画家 石川栄耀 -都市探求の軌跡」「アーバニスト –魅力ある都市の創生者たち」などがある。

田島邦晃 = 東急株式会社 新宿プロジェクト企画開発室 プロジェクト推進グループ統括部長。

神河恭介 = POD Inc.代表。プロジェクト初動期より企画関連を協力・一部制作。

田島邦晃さん:
本プロジェクトの担当となった時、久しぶりに歌舞伎町に降り立ってみました。するとそこではアーティスト集団が活動していたり音楽イベントに若者が多数集まっていたり、世の中でイメージされているようなこととは違う景色に出会いました。さまざまな人や出来事が重なり合って街が構成されていて、人のはかなさや強さがまちの核になっていると感じました。神河さんと共にコンセプトを作り上げていく時に、鈴木喜兵衛という強烈な人物に出会いました。彼が戦後に描いた歌舞伎町の街づくりの思想やコンセプトをしっかりつかみ、この街が持つ寛容性を生かしていくことがとても大切だと思いました。その街づくりのバトンを僕らが引き継ぎ、当該開発をきっかけとしてまちに新しい風がうまく入っていくきっかけを作れればいいなと思ったんです。

田島邦晃さん

中島直人さん:
歌舞伎町は繁華街でありながら、劇場や映画館といったエンターテインメントが混ざり合っていて、このようにいろいろな性格を持っている街というのは、世界を見渡しても例が少ないです。ニューヨークのタイムズスクエアが歌舞伎町にとって参考にできる街であり、ライバルとも言えるかもしれませんが、タイムズスクエアは元々人も多いけれども、車通りも多いまちでした。それをこの10年ぐらいの間に、道路を広場に転換したりして、人びとが楽しくたたずめるエンターテインメントのまちとして再生してきました。方向性は似ていますが、歌舞伎町の場合は初めから広場があり歩行者優先の街なので、出発点が少し違うと思います。田島さんからいろいろ伺い、今回の「歌舞伎町一丁目地区開発計画」は広場を囲む建物が、広場と共にどう環境を作り合っていくのかということを考えられたのだとわかりました。

中島直人さん

神河恭介さん:
田島さんから相談を受けた時に、多様な人が自発的に関わり合いたくなるようにすることが大事だと強く意識しました。新宿は江戸時代に商人である高松喜兵衛らが開設した宿場町から発生していて、歌舞伎町はそこに鈴木喜兵衛が夢見たストーリーがある。共に名主であった二人の喜兵衛が野心を持って進めた、歴史的に見ても民意の強いまちづくりで、行政も加わって進行する部分と民間の野心がシンクロしていった都市計画である点が面白いところです。「宿場」は英語にするとステーションですから、鉄道会社さんのイメージにもつながると思いました(笑)。街の歴史は深掘りするほど面白く、そこに東急さんの思いも全部シンクロさせれば、より歌舞伎町が街として昇華できるのではないかというイメージがありました。

神河恭介さん

中島直人さん:
歌舞伎町はもともとの宿場町から見れば、外れた場末にあたりますが、さまざまな人が行き交う宿場町・新宿のDNAのようなものを今一番感じられるのは、むしろ歌舞伎町かもしれない。鈴木喜兵衛が考えたまちづくりは、中心に広場をつくって劇場で囲むといった明確な計画があったんですね。しかし、その後、このまちに入ってきたいろいろな人たちがそれぞれの思惑で動いてきた結果、非計画的な要素が混じり合っているというのが面白いと思います。計画的に設置された宿場町の周りに非公認の遊廓である岡場所ができるなど、さまざまな人の往来からいろいろな場が出来てくるのに似ていますし、そうしたことが新宿や歌舞伎町の持つパワーの源としてあるのかなと思います。今回の開発も、計画性と非計画性、我々はそれを自然と生まれてくるものという意味で「生成」と言っていますが、両者の組み合わせが要にあるように思いました。

田島邦晃さん:
街が大切にしているものは何かということを探りながらこのプロジェクトを進めていきました。もう一つ、昨今「ストーリー」が求められているようなところがありますが、逆にナラティブ(街にいる人たちが自ら語る)な状況をどう作っていくかが大事だと考えていて、街に眠っているコトガラとナラティブな状況をどう組み合わせて開発を進めるかということも意識しました。これは今後のまちづくりの在り方にもつながると思っています。神河さんが最初に「フレンドシップというよりは共犯者をどれだけ作るか」と表現されていたのですが、(共に街を作っていく)共犯者がたくさんいる方が街は楽しくなっていくと思いますし、その点はプロジェクトにおいて大切にしてきた部分です。

神河恭介さん:
中島先生は、歌舞伎町の開発を東急が手がけると聞いてどのように感じられましたか?

中島直人さん:
東急さんは渋谷駅周辺に見られるターミナル開発の先導者というイメージがあると思います。歌舞伎町と東急さんが持つブランドイメージには差があって、確かに初めはなぜ歌舞伎町なのかという印象を持ちました。一方で、歌舞伎町は東急(新宿東急文化会館)と東宝(新宿コマ劇場)という、日本のエンターテイメントの基盤を作ってきた両者が向かい合ってきたという歴史を振り返ってみると、改めてこれからの未来を担う大事な場所なのだと思います。開発にまつわるコンセプトなどを伺って、洗練されたイメージのある東急と歌舞伎町の組み合わせは非常に可能性があると感じています。

神河恭介さん:
鈴木喜兵衛がそもそもまちづくりのコンセプトに「芸能施設を集めた新東京の最も健全な家庭センターを建設する」といった言葉を掲げていたのもユニークでしたね。

中島直人さん:
鈴木喜兵衛、石川栄耀(東京都建設局長として戦災復興計画の立案などを手がけた都市計画家)の二人は、戦後復興という時期において、歌舞伎町にアミューズメントセンター(芸能広場のある理想的な文化地域)を作ることが一番大事だと考えたんですね。焼け跡にちゃんとした道路や住居をつくることは誰から見ても大事なことでしたが、その時点で人々が一番求めているものとして娯楽をまちづくりの中心に持ってきたというのはすごい発想です。偶然にもコロナ禍にあって、ある意味同じように復興期といいますか、時代がシンクロしているように感じました。

(この座談会は2022年2月21日に行ったものです)

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