「カウンターカルチャーを生み出す街」
新宿を漫画で綴る 「コミック新宿史」
作者・井口たくみさんインタビュー

2019.09.18

2019年4月、四ツ谷駅から歩いて10分ほどの場所にある、その名の通り新宿にまつわるさまざまな郷土資料を保管・展示する「新宿歴史博物館」から1冊のコミックが刊行された。『コミック新宿史 新宿ジオラマ奇譚』である。

表紙

新宿の街の史実に時折SF調の虚構を織り交ぜながら、234ページに渡り、時代ごとに花開いた新宿の文化や風俗を綴る。主人公は、私設博物館「千年ミュージアム」のオーナー学芸員で、ジオラマ作家の未来創丸(みらいつくまる)。博物館の地下にある工房で、古代から現代まで新宿のジオラマ製作に没頭する彼は、ふと気がつくと自らそのジオラマの中に迷い込んでいて、街の変遷の目撃者となるのである。ジオラマが史実とのパラレルワールドであるように、この「千年ミュージアム」もまた、「新宿歴史博物館」の写し鏡のようだ。

『コミック新宿史 新宿ジオラマ奇譚』より。主人公の未来創丸

作者で、4年前から同博物館職員として務める井口たくみさんは「せっかく博物館にきたので、何か面白いミュージアムグッズが作れれば」と同書を構想したという。チラシやポスター、同区内にある「漱石山房記念館」の一筆箋や封筒、缶バッジをはじめとするミュージアムグッズ、展示ディスプレイなどのデザインを中心に担当する井口さんは、もともと1980年にマンガ家としてデビューした経歴を持つ。SFやハードボイルドなどのコミックやイラストレーションを手掛けるほか、傾倒していたコミック「バンド・デシネ」の本場フランスでも、数年間イラストレーターとして活動してきた。

「漫画を描いてきたので、コミックで新宿の歴史を辿れたらと思って。中学生くらいのサブカルに熱中しているような子どもたちから、それこそ日本の漫画の黄金時代に、漫画文化で育ったような団塊世代までに届くような作品が作れたらと思ったんです」と井口さん。

作者の井口たくみさん

新宿的対抗文化(音楽、映画、演劇、美術などに波及したアングラ文化)に始まり、大正〜昭和初期にかけて開花した文化住宅、ムーランルージュをはじめとする和製モダニズム、フォークゲリラやジャズ喫茶といったヒッピームーブメントに由来するユースカルチャー、ヨーロッパの前衛運動を踏襲した芸術集団MAVOなど、章を追うごとに時代を遡りながら語られる新宿の街の姿は、ある人によっては懐かしく、現在の新宿しか知らない人にとっては新鮮に映るに違いない。

現在の歌舞伎町の街づくりに尽力した鈴木喜兵衛が登場する『コミック新宿史』の1ページ

井口さんは、新宿の魅力を「カウンターカルチャーを生み出す街であるところ」と話す。「この街を活性化してきた流れのようなものが、宿場町として『新宿』が誕生した江戸時代の狂歌に始まり、コミック冒頭に出てくる60年代後半には爆発したような時代を生むなど脈々とあって、いつの時代も新宿は、混沌の中から新しい文化を紡いでいくエネルギーに満ちていました。

僕自身落合出身なんですが、自分が見て体験してきたことや調べていったことを合わせていくと、やはりそうした新宿のカルチャーが一番面白かったし、ストーリーの骨格になり得るくらいの質量がある街だったので、この本のメインテーマにしようと思ったのです」

子供の頃は界隈に建ち並ぶ家々の細い路地に入り込んで遊び、中学高校時代もお茶を飲んだり本屋や映画館に通ったり、通学で通る新宿で遊ぶことが多かったという井口さん。「歌舞伎町のコマ劇前にまだ噴水があって、『ジョーズ』やら『ロッキー』やら、全部ミラノ座はじめ新宿で観ました。ちょっと怖い人も多かったけど、今でも当時の景色を再生しながら歩いているような感覚になることがあります。ゴールデン街も今と違った、かすかに闇市の匂いのようなものが残っているというか。街の記憶ってそういうものだと思うんですね。
新宿から離れていた時期もありましたが、こうして深く時代を掘り下げながらコミックを描くことは、改めて街の魅力を再確認する作業でもありました」

プレゼンに1年、その後作画に1年かけ完成した本には、各章に同館の学芸員による解説も付くほか、新宿区に生まれた三島由紀夫、夏目漱石や、区内に住んでいた寺山修司、赤塚不二夫のほか、数多くの著名人、文化人、歴史上の人物が登場する。

『コミック新宿史より』 手塚治虫、永島慎二に任侠映画の主人公らも登場する

「博物館なので、歴史など内容の確認は生き字引きのような方々に何かと手伝っていただきましたし、図書閲覧室には地域資料がいくらでもあるので、執筆中は入り浸って活用しました。苦労したといえば、自分でドローイングするのとは違って、全部マウスだけでちょっとずつ角度を変えたり曲線を作ったりしながら描いたことです。職場で漫画描いているだけでいいのかな、と思って開発したテクニック。コンピューターなら仕事している感じがするでしょう(笑)似顔絵もこんなにたくさん描いたことないですから面白かったですね」と冗談交じりに話す井口さん。

刊行後は老若男女から反響があったという。「ダイジェスト的に新宿の歴史を辿れるものが意外となくて喜ばれました。漫画は基本的に特別なリテラシーが必要なく誰でも読めるというところが武器なので、どういう風に読まれてもいいと思っています。区内の全小学校の図書館には1〜2冊ずつ配本したのですが、ある小学校から『図書室で(この本が)争奪戦みたいになっているから、もう少しください』と言われたのが実は一番嬉しかったですね」

本は「未来はパノラマ」と題したエピローグで終わる。「未来のその先、本当はカオスが蔓延して、テクノロジーも究極に進化した近未来のダークな話も考えていたんですけど、それはまた別の機会にでも描けたら面白いかもしれませんね(笑)」と井口さん。

『コミック新宿史』より

新宿の街の未来への思いも伺ってみた。「街が浄化されて、新宿もどんどんソフィストケートされていっているように思います。健全な社会の中でそれはもちろん重要なことだと思いますが、自分の記憶にもある昔の歌舞伎町やゴールデン街、西口の高層ビル群も京王プラザがポコっと一本松のように立っていた70年代は、街の文化も、テレビもアートなんかもまだいろいろなルールが割といい意味でめちゃくちゃなところがありました。新宿独特のちょっといかがわしい感じが、街の中にどこかめくるとちょっと残っていると感じられたらいいなと個人的には思っています。

『ブレードランナー』(1982年公開)という、ある種その後のSFの決定的なベースになっていったような映画に、レトロフューチャーだけでなくて、訳のわからないものが混沌としているけれど、どうしようもなく惹かれていくような、そんなビジュアルが登場します。大久保のコリアンタウンやゴールデン街の路地から見上げる西新宿の摩天楼、グローバルに交差する歌舞伎町の雑踏など、新宿には映画で描かれたような『超アジア的景観』が体感できるスポットが多数あると思います。ある種新宿的なスリルが未来的に伸びていくような街になると面白いですよね。

新宿は多文化共生とよく言われますが、これからはそういうところから新しい何かが生まれてくる可能性があると思いますし、日本とか東京的なものというより、新宿ならではの、きれいなだけではない、でもたまらない魅力みたいな街の姿、カルチャーが安全な形でまた復活していけばいいと思います」

『コミック新宿史 新宿ジオラマ奇譚』は新宿歴史博物館はじめ、林芙美子記念館、佐伯祐三アトリエ記念館、新宿文化センターほかで販売。価格1,000円。


新宿歴史博物館
東京都新宿区四谷三栄町12-16
TEL 03-3359-2131

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