現代美術・水墨画家 長坂真護さん
インタビュー #2

2018.02.19

「絵を描きたい、その根を強く太く育てたい」とそれから1年半をニューヨークで過ごしたという長坂氏。
アートとの距離が近い街。路上での観衆のレスポンスも早く、テレビ局に声を掛けられドキュメンタリー番組も製作されたという。
それでも街にアーティストはひしめき合い、500ほどのギャラリーが連なるチェルシーへは、売り込みに行っても誰ひとり相手にしてくれなかったという。


実際にNYに住んでみてどうでしたか?

一つうれしかったのは、ダンスクラブで引き受けた仕事です。黒人がヒップホップのテクニックを見せ合い踊る本格的な場所で、もちろんアジア人は僕だけ。最初はちょっと怖くて(笑)深夜11時から朝5時までそこのステージで描き続けるんです。「もっとゆっくり描け、踊るように描け」なんていわれながら。

終わると70ドルチップをくれるんですよね。最初は封筒に入っているのをパッと渡されました。翌週仕事に行くと、封筒には「Artist」って書いてある。それが次の週には「Painter」、次は「MAGO」になりました。1カ月の契約が終わって最後に行った時に、封筒には「Brother」って書いてあった。すごいでしょ。「お前はもうファミリーだから、いつうちのクラブに来てもタダだぜ」って言われて。それは「NYで認めてもらえたのかな。絵で生きるってこういうことなのかな」と初めて感じた瞬間でした。

そのNYにも長くは留まりませんでした。

「自分が追い求めているのはここじゃない」と気づいたからです。現代アートのギャラリーで、壁にダンボールがただ貼ってあって、ピンクのペンキがピュっと塗られている。そんな作品が500万で売られているのを見て「くだらないな」と感じました。いつビザがもらえるかわからないような自分たちにとって、まだ期間がたっぷり残ったビザを放棄するのはなかなか勇気がいります。でも現代アートではなく、何千年も前から脈々と続く「西洋美術」を見たいという、その時の欲求にはかなわなかった。それで一度日本へ戻り、パリ行きを目指しました。

ヨーロッパで美術に触れ、新たな意識の変化がありましたか?

「無精卵をかぶる女」「無精卵をかぶる女」
母親が家にクリムトの「接吻」(グスタフ・クリムトが1907〜8年にかけて描いた油絵)のリトグラフを飾っていたんです。子供の頃からとても好きで、ずっといい絵だなと思っていた原画が、ウィーンのベルヴェデーレ宮殿に飾られていると知って、パリ滞在中に見にいきました。

原画を見た瞬間、初めて「芸術とは何か」という答えが自分の中に見つかったんです。「絵」は画家が死んだ後も生き続けます。人が100年生きたとして、アートは1000年、2000年でも残り、その「絵」に会いに世界中から人が集まってくる。つまり、自分が持つこの底なしの野心とかアイデンティティーといったものは、絵を描くことで遠い未来、1000年後の未来に通じていくのだ、と確信しました。芸術は世代を超えてメッセージを発していくもの、それなら1000年残るアートを作ってみようと思ったんです。写実的な宗教画などを見ていると、1000年前の誰かに描けてなぜ自分には描けないんだろうとくやしく思ったりもしました(笑)僕のリアリズム絵画「無精卵をかぶる女」は、そうしたヨーロッパでの経験を経て生まれた作品です。

その後、パリで見たという予知夢に導かれるかのように日本に戻り、絵を描きながら、1年間地元福井で陶芸の修行を積まれたそうですね。この時、土で作った「竜」と、その後描き始めた「満月」という2つのモチーフには、何か長坂さんの美術に対する思い、自身が絵を描く理由が込められているのでしょうか?

パリで見た夢に現れたのは、陶芸で作った「竜」の赤ちゃんを窯に入れる瞬間のシーンでした。日本に戻ってすぐ向かった陶芸教室で、現実に土の塊で竜を作っている時、「これが美というものなのかな」と思いました。美しいものは、追い求めれば求めるほど自分の打算が働いて醜さが出る。作ってやろうという概念自体が醜いと思うんです。でも、夢から派生したものは限りなく美の塊に近いんじゃないか、夢で見た「竜」は僕の陶芸としての、人生のスタートなのだと解釈しました。

「二丁拳銃をもった女」「二丁拳銃をもった女」
「月」は、「世界平和のアイコン」と僕が提唱しているモチーフです。以前、拳銃にコンドームが刺さった「二丁拳銃をもった女」というリアリズム絵画を描いた時も、「人を殺す道具をコンドームで避妊すれば世界平和になるんじゃないか」との願いを込めて発表しました。でも、パリ同時多発テロが起きて、その直後のパリでは、僕自身も街の人も、みんながその悲惨さを肌で感じていました。今の世の中で必要なアートは、「No War」「Anti War」と叫ぶ絵でなく、みんなの気持ちが一つになれるようなものなのだ、と思いました。

「月」を見上げる時、「地球上に同じように見上げている人がいるかもしれない」と感じることがありますよね。月を見ている瞬間はいいことも悪いことも何にも考えず、心の中に平和を感じることができる。だから、大きい壁にまるで月がかかっているかのように、オーラのある月を描き続けることで、その気持ちが続くのでは、世界が平和に向かっていけるのではと発表し、あちこちで展覧会も行ってきたのです。

パリでの滞在、帰国後の陶芸工房での製作を経て、2015年にはこれまでの集大成とも言える「美的真相 The Real Beauty」が上海で開催されました。さらに翌2016年には、50年の歴史を誇る老舗アパレルメーカーのブランド「HEMD TOKYO」から自身の名を冠した「HEMD by MAGO」も誕生しました。

一度は失敗した自分のファッションブランドの夢が再び叶ったのも、本当にたまたま縁のあった人との出会いのおかげです。学生たちに向けた講義などでも「チャンスはピンチの顔をしてやってくる」ってよく話すんです。これまで、ピンチの時、何かをあきらめようとした時に、僕の絵を気に入って作品を購入したいと言ってくれた人、誰かを紹介してくれた人、そんな人に本当に助けられ、その全部があって今の自分があります。このころ、やはり人と知り合うことで自分があるという気持ちになることもできました。今は、人の縁には恩も感じています。

新ブランドの立ち上がりと同時に「Flags」でのイメージCMも決まったんですよね。

偶然にも「HEMD by MAGO」を初お披露目する展示会最終日でした。かつてその「Flags」の下でライブパフォーマンスして、警備員に怒られていたんですよ、僕。それが、巨大なスクリーンの中で、自分がデザインした服を着て、絵を描いて、歌っている。イメージCMの挿入歌も僕が作詞作曲して歌っているんです(笑)新宿に上京して、NY、福井、パリと経て、再び東京(馬喰町)にアトリエを構えてから約1年、18歳の時に描いていた夢がすべて叶っていました。たびたび新宿にも来ていますが、パッと見上げた先に自分が映っていると今も不思議な気持ちがします。

初めて上京した新宿の街を、夢が叶った現在、改めて見渡してみると、違った景色に見えますか?

新宿は育った場所、縁が深すぎます。今の新宿は文化度が薄いのかな、と感じます。瞬時的な快楽を求めてきた結果かもしれないけれど、骨組みもないのに流行だけがふわふわと広がってもすぐ消えてしまう。

かつて新宿にも文化があったように、今は自分たちの文化を育てていく時期なんじゃないかなと思います。

「歌舞伎町」という名前のもと、パリにピカソやゴッホが集まったように、世界を牽引するようなクリエイターたちが集まったらおもしろいですよね。でもそれができるんじゃないかな、と。

「自分はこんなに幸せな人生。それを自分の中にとどめる理由がなくなってきた」と感じています。世界平和を願ってアートでどう貢献していけばいいかとずっと考えてきたけれど、これからは世界平和と環境保全を目的にやっていこう、自分の今までもらった縁とかラッキーを社会、地球に還元していこうと思っています。

新宿のストリートから世界へと巣立ち、地球規模で住み良い世の中と平和を「アート」で届けようとする長坂氏。東京で、NYで、福井で、パリで、絶え間なく美術とは何かを自分自身に問いかけながら、世界を平和に、浄化したいと話す長坂氏は、きっといつかそれを形にしてくれるのでは、と思わずにはいられない。事実、長坂氏は世界中の先進国から無秩序に集められた古い電子機器の投棄場となった「ガーナ」を現在行き来している。廃品回収で出るガスによるガンのリスク、劣悪な労働環境を、自らのアートで、言葉で、映像で世界に伝え、浄化しようと取り組む、その現在進行形の活動について、未来について、その姿をまた改めて我々は追い続けていきたい。

【プロフィール】
長坂真護氏 NAGASAKA MAGO
福井県出身

2009年 自ら経営する服飾会社が倒産、金も自信も失ったMAGOは路上の絵描きになった。後に福井県立恐竜博物館とタッグを組み東京ビッグサイトにて地元名産「越前和紙」を使い、前人未踏の恐竜全身骨格、幅8mの巨大水墨画を即興で披露すると、2010年 史上最年少でサマーソニックのアート部「SONICART」に出場。その後NHK総合「頭がしびれるテレビ」の絵画を担当した。MAGOは模範的な水墨画の脱却を図り、2013年にNYへ渡米し現代美術を、翌年には渡仏し西洋美術を学び帰国。
2015年 西洋美術と現代美術を組み合わせた作品、「無精卵を被る女」を発表。これがヒットし東京日本橋にアトリエを構る。同年、水墨画と陶芸を組み合わせた個展「美の真相」を上海にて開催。その期間中11月13日にパリ同時多発テロが発生、テロ直後のパリを訪問し、「芸術で世界平和をする」と決意。満月を平和のシンボルと定め「世界平和の満月」を制作。「満月は世界の淀んだ空気を清浄化する空気清浄機」と述べ、「誰もが、どこからでも満月を見ると心の中が和み、私たちの心は一つになる。」と提言した。
2016年9月1日、新宿駅隣接の有名なファッションビル「Flags」とMAGOがコラボし巨大ビジョンでのCM放送開始。新宿駅は利用者数世界一、MAGOはこのCMでライブペイント、衣装デザイン、CMの作詞作曲、歌手を担当。前代未聞のCMで今日も新宿に訪れる人々を魅了する。同年ファッションブランド「HEMDby MAGO」をスタート。彼の手がけるファッションはアート作品と連動し、渋谷MODI、有楽町マルイ、新宿マルイ、恵比寿三越、横浜高島屋にて世界平和をコンセプトに個展及びショップを展開した。さらにその冬、新宿フラッグスに新宿フラッグスにて「世界が一つになれる夜」をテーマに世界平和のクリスマスアートツリーを発表。
翌年2017年MAGOはアメリカのZatik Natural Skincare Lineのアートディレクターに任命され、ハリウッド、オスカー賞の前夜祭2017 Oscar VIP Gift Loungeに出展し、日本人初となるライブペインティングを披露。同年5月にはLAのトヨタ美術館で展示会を開き「芸術で世界平和と環境保全の創造をする」と公言。そして6月アフリカ、ガーナにある世界の電子機器の墓場、死に汚染されたスラム街と言われる「アグボグブロシー」を訪問。その現地の廃棄物を再利用した環境保全を目的としたアート作品「WEARESAME」発表。自分の芸術は何人を救えるのか?と、「世界平和と環境保全の創造」をスローガンに掲げ、今もなお日本のみならず世界各地で講演や作品展を行う

 関連リンク 
「NAGASAKA MAGO」 http://artistmago.jp/pg47.html

Editorial department / 本文中の本アイコンは、
歌舞伎町文化新聞編集部の略称アイコンです。

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