神河さん:
噴水のような外装デザイン、建物の色合いはどのように考えられましたか?
星川さん:
今まで見たことのないような形状と色をしている点は、歌舞伎町ならではですし、寛容性・多様性といったテーマがあったからこそ実現できたと思っています。東京のスカイライン(建物などの連なりによる景観の輪郭線)は平坦なところが多いのですが、東急歌舞伎町タワーは隆起しているようなアンジュレーション(起伏)があって、東京のスカイラインに一石を投じているように感じます。観光客を世界中から集めたいという思いを受け、デスティネーション(旅の目的地)としていかにワクワクさせられるか、そのために設計担当として空港から建物に行くまで、例えば道中の高速バス内からどう見えるかなどシミュレーションを重ね、よりふさわしい見え方を検討しながら上部の形状を決めていきました。
もう一つ、西新宿というオフィス街に対してある意味対照的でありたいということもテーマとしてありました。西新宿が男性的であるならば、女性的な建物が良いのではないかと考え、全体的には柔らかい印象で立ち上がりながらも目立つように事業者さん、永山さんと共に設計しています。
星川さん:
下層部の外壁のピンク色は、旧新宿東急文化会館がオレンジピンクだったのでそれを継承したいという思いが大きかったです。下からエネルギーが湧き上がっているような雰囲気をデザインとして実現したいと考え、ピンクから白のグラデーションになっているのが特徴です。基壇部、中層部、上層部が断裂することなくつながり、上昇感の表現にもつながったと思います。
神河さん:
建物の各所にバルコニーも設けられていますね。あとは屋外ビジョン、そして歌舞伎町シネシティ広場に面して作った屋外ステージなど、街との一体化を意識したアイディアも注目すべき点だと思います。
井上さん:
先人の鈴木さん、石川さんたちが「大衆のための広場」といってつくった広場にせっかくだから積極的に関わっていきたいと思いました。広場は大衆文化の発表の場になり得ますし、サクセスストーリーが生まれるようなステージであるとも考えています。その広場と建物を互いに活かすかとしたら、一体的な劇場空間にできるようなビジョンとステージのほかになかったと思います。建物の各所にプランニングした大小の発表の場と合わせて、タワーが街の一部としてシームレスに広場、そして街に連続していくのに、屋外ステージと屋外ビジョンが活きると思っています。
東京都は広告物のルールが非常に厳しく運用されていて、100平米を超える屋外ビジョンは本来、屋外広告物条例の規制によって設置できない大きさでした。ただ歌舞伎町はあの賑やかさを求めて世界から人が集まってきていますし、新宿区もガイドラインで「エンターテイメントシティ歌舞伎町」を掲げるなど寛容に考えていて、今回行政の共感と理解も頂き、特例によって大型ビジョンの設置も実現できました。
神河さん:
久米設計さんは日光金谷ホテル、軽井沢万平ホテルなどの国際観光ホテルをはじめ、初の外資ブランドホテルである東京ヒルトンなどを手がけてこられた歴史を持っています。今回は都市計画から建築だけでなく、ラグジュアリーホテルのインテリアまで担われていますが、主たる施設であるホテルの内装に関して、建築チームとしてだけでなくインテリアデザイナーの立場から提案されたこと、こだわった点などを聞かせください。
井上さん:
初期のディスカッションの中で、神河さんがおっしゃった「逗留」という言葉から「マナーハウス」(かつての領主の屋敷。宮廷人や従者などを迎えもてなした)のような、随所に館のオーナーの趣味が感じられるようなホテルでありたい、という思いに至りそこからデザインを始めました。ちなみに、五島慶太自身も絵画や陶磁器などを収集するなど美術品に造詣が深いことで知られています。
権九郎は20世紀初頭に名だたる国際ホテルを手がけていましたが、当時は海外で観光がブームになりつつある時期で、それまで日本を訪れていた上流階級や文化人から中産階級まで広がっていきました。そうした流れを日本でも受け止めていこうという動きが見られ、五島慶太さんの国際観光事業への思いを受け継がれた五島昇さん(慶太さんの息子)もリゾートホテル建設や海外進出など国際的なことにチャレンジしていきました。大きなホテルをつくったのはそうしたロマンを持った人たちだったのだと思いますし、同時に彼らがオーナーとしてライフスタイルホテルをイメージしていたのが見てとれます。文化をよく知っていた彼らでなければできないことでもありました。そうしたことを考えると、東京ヒルトンなどを手掛けた五島昇さんが今ホテルをやるとしたらやはりライフスタイルや都市体験、都市観光にこだわるだろうと思ったのです。
井上さん:
設計を担った権九郎もまたハイソサエティな家柄で海外経験もあり文化にも精通し、国際ホテルをつくって世界へ進出しようとする際、彼らの大きな支えになったのだと思います。今回我々も東急さんと一緒にホテルをつくっていく中で、例えばホテル内の調度品を手にしてもその背景にオーナーの物語が感じられるような、そんなホテルにできたらという思いで設計を進めてきました。
神河さん:
オーナーという人物が刻んできた歴史が持つ独自性こそ唯一無二のものですよね。文化と合わせ、日本には江戸時代からの時代の積み重ねもあります。「街ごとIR」と言いましたが、さまざまな施設を統合するだけでなく、まさにそうした歴史も文化も統合する。それらが楽しめるような体験ができるのが都市の面白さでもありますし、都市の計画者、生活者、都市を楽しむといった「アーバニスト」がこの先も未来永劫、ずっと媒介者としてその「都市体験」をつないでいけるのではないかと思っています。
井上さん:
権九郎は一つずつ大事に建築をつくっているのですが、同時に「都市」の視点も持っていて「建築は都市計画的立場から問題の解決を図ることを基本としなければならない。都市計画的な仕事とは、すべてを一緒にして全般的な視野から物を見るということである」と話していたと聞きます。合わせて「建築はその地にはえたものだ、即ちその土地にマッチしたものでなければならない」とも話していました。その土地のバックグラウンドを大切にするという信念を持っていたんですね。その思想はまさに歌舞伎町のまちづくりにふさわしいと思っていますし、我々も歌舞伎町のバックグラウンドとこれからについてずっと考えてきました。
新宿はよく多様性の街と言われますが、僕にとってよりぴったりとくるのは「寛容性」という言葉です。多様なことを受け止める寛容であるおかげで何かにチャレンジしたり成功したりすることができる。だから建物の中にもチャンスをたくさん作ろうというのは東急さん、神河さんともよく話しました。建物も寛容でありたいと思います。
盛り場を研究してきた石川さんは「広場」に対して非常に強い想いがあって、「広場は人と人とのつながりをつくる市民交歓の場であり民主主義の象徴。集団的気分に酔い、個人を滅却し全体的気分を醸成する」と言っています。歌舞伎町シネシティ広場をつくったそのような想いを、正しくこの東急歌舞伎町タワーに受け継ぐことができたのでは、と思っています。