「ゴジラ」のいるホテルとして話題に
「ホテルグレイスリー新宿」を手掛ける
「藤田観光株式会社」インタビュー <前編>

2021.04.27

2015(平成27)年、「新宿コマ劇場」跡に開業した「新宿東宝ビル」。当サイトでは以前、この複合施設を手掛ける東宝株式会社にビル建設までのヒストリーや街のシンボルとなるまでのお話を伺った。今回は8階から30階に入る「ホテルグレイスリー新宿」をご紹介したい。

全970室を擁する「ホテルグレイスリー新宿」にはビルのシンボルともいえる「ゴジラ」の世界観が楽しめるコンセプトルームも設けている。1室のみ用意された「ゴジラルーム」は、ゴジラのオブジェを配置し、ブラックライトを当てると写真やアートが浮かびあがるトリックウォールを活用するなど、部屋に入った瞬間からゴジラを満喫できる仕掛けが施されている。6室ある「ゴジラビュールーム」は、8階のホテルテラスから顔を出す原寸大のゴジラ(「ゴジラヘッド」)の大きさやリアル感を眼前に楽しめる部屋だ。

TM & © TOHO CO., LTD. TM & © TOHO CO., LTD.

以前、この土地の地主である東宝株式会社にインタビューで伺った際、「同ビル建設計画を進める中で、当初立地からも唯一可能性があったのがホテルであり、その中で手を挙げてくれたのが藤田観光さんだった。そこから本業であり強みでもあった映画で勝負しようという決断のもと、エンタメとホテルという複合ビルができ上がった」とお話くださった。「ホテルグレイスリー新宿」を運営する藤田観光株式会社 同ホテル総支配人の阪根徳彦さんと、企画課担当マネージャーの本田裕美さんにお話を伺った。

藤田観光は今年創業152年になると伺いました。

当社は1869(明治2)年に藤田伝三郎が創業した「藤田財閥」をルーツとしています。藤田家から譲り受けた地産を生かし、観光業の礎を築いたのが初代社長の小川栄一です。小川はそれまで一部の階級の人だけが所有していた邸宅や別荘、庭園などを、ホテルやレストランとして広く一般の人も利用できるようにすることが観光事業であり当社に課せられた社会事業だと考えました。1955(昭和30)年に観光部門が分離・独立し、藤田観光が設立されました。「戦争で傷ついた人びと、これから日本の再建に尽くす人びとに、安くて、健全で、楽しい憩いの場所を提供すること」という信念のもと、別荘地を提供した「箱根小涌園」や、もともと庭園だった目白の「椿山荘(現ホテル椿山荘東京)」などから事業を始め、現在はホテル、結婚式場やレストランや温泉施設など含め国内外で約60の施設を展開しています。

新宿では西口エリアで長く「ワシントンホテル」を運営されていらっしゃいますが、こちらはどのようなホテルでしょうか。

1973(昭和48)年に当社初の直営ワシントンホテルとなる「札幌第1ワシントンホテル」を開業しました(ワシントンホテルの1号店はワシントンホテル株式会社が1969年名古屋に出店)。これは賃借物件でホテルの運営・経営を手掛けるという、これまでとはスキームの違う新しいブランド事業でした。

当時サラリーマンの出張の多くは、駅前旅館の畳の部屋に上司と二人相部屋といったような形態でした。旧「札幌第1ワシントンホテル」の最初のシングルルームは9平米しかありませんでしたが、まだ珍しかったユニットバスを取り入れるなど、狭いながらも「一人一部屋」というスタイルを作り出し、「出張旅費の範囲内で、一杯お酒を飲んで、帰りに子どもにお土産も買えるホテル」をコンセプトに掲げました。高度経済成長期とも重なり、プライベート感のあるこうしたホテルに泊まるお客様も増え、ワシントンホテルは「ビジネスホテル」チェーンという形で全国展開する先駆けとなりました。

1983(昭和58)年に開業した「新宿ワシントンホテル」は、当時ホテルの一棟としては最大数となる1301室(開業時)を擁し、まさにホテルのブランド名を全国に知っていただけるきっかけとなったフラッグシップホテルです。

「新宿ワシントンホテル」 「新宿ワシントンホテル」

ホテルグレイスリーブランドはどのような経緯で誕生したのでしょうか?

当時はアッパービジネスと言っていたようですが、時代の流れの中でビジネスホテルの中でも上位ブランドを作ろうと、2008(平成20)年に生まれたのがホテルグレイスリーです。その後、訪日外国人や国内でも都市型のホテルに滞在し観光するようなお客さまが増えてきていたこともあり、ワシントンホテルはビジネスニーズに応えるホテル、ホテルグレイスリーは観光ニーズを主体にしたホテルと、それぞれのコンセプトを明確にしました。

御社の「大規模ホテル出店の意思とその自信」があったからこそ、「新宿東宝ビル」建設計画は大きく前進した(東宝株式会社談)と伺いました。出店にはどのような思いがあったのでしょうか。

1000室を超える部屋数を持つワシントンホテルを運営する中で、それなりにノウハウが蓄積されていました。私自身も2010(平成22)年まで同ホテルに勤務しておりましたが、すでにその当時から外国人のお客さまの比率は3〜4割あって、エリアのほかのホテルも含めインバウンド需要をしっかりと受け入れることができていたと思います。日本の中でも新宿はそれだけ海外からお客さまが集まるところだという認識があり、また同時にインバウンドの数が増え始めている傾向も見えていました。新宿は大きな力を持っている都市だと思います。例えばリーマン・ショックなど浮き沈みある時流の中でも、稼働率から見ても新宿は最後まで粘り強く、また好転時には最初に人が戻ってくる都市でもあります。西口で「新宿ワシントンホテル」を運営してきたことで、そうした新宿の力を実感でき、またその実績が、歌舞伎町でもホテルビジネスができるという自信につながったのではないかと思います。

開業前年の2014(平成26)年には、それまで「WH(ワシントンホテル)チェーン」としていたグループ名を、両ホテルの頭文字を合わせた「WHG(ダブリュー・エイチ・ジー)」と改めました。ちょうど「ホテルグレイスリー」というブランドを全国区に、また国際的な都市である新宿への出店でしたので海外のお客様にも広まるようなフラッグシップになればというタイミングとも重なったのが、この歌舞伎町での開業でした。「新宿ワシントンホテル」と同様、新宿への出店を機に「ホテルグレイスリー」も海外も含め展開するホテルブランドへと成長しました。

(後編に続く)

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