大都会の真ん中で落語を楽しむ
江戸の風情が感じられる「新宿末廣亭」

2019.12.18

実に多様な様相を見せる大都市・新宿。このサイトでもこれまでに創業100年を超える老舗から、最先端のデジタル技術を駆使したモノづくり、小さな軒が連なる飲食店、街をあげて行われる昔ながらの祭りや、アートイベントなどを紹介してきた。

そんな新宿は「落語の街」としても注目を集めている。「伊勢丹」の東側、飲食店などが多く建ち並ぶ新宿三丁目界隈の通りを歩くと目に入る、提灯や落語家の名前が書かれた札がずらりと並んだ趣ある建物がその中心、寄席「新宿末廣亭」(以下、末廣亭)だ。

寄席は落語のほか、色物(いろもの)と呼ばれる講談、奇術、紙切り、漫才、曲芸などさまざまなプログラムを楽しむことができる場所だ。中でも、ほぼ毎日興行を行う寄席は「定席(じょうせき)」と呼ばれているが、都内には現在「末廣亭」と合わせ、「上野鈴本演芸場」「浅草演芸ホール」「池袋演芸場」の4軒の定席が残っているだけである。
ビル化も進む現代にあって、今年創業73年を迎える「末廣亭」は「新宿地域文化財第一号」にも認定されており、寄席としては東京で最古、唯一の木造建築としてことの外、江戸の情緒を感じさせてくれる。
今や若い女性たちも列を作る「末廣亭」の歴史、落語と寄席の魅力について「末廣亭」で広報を担当する林美也子さんにお話を伺った。

「末廣亭」の始まりについてお聞かせください。

「末廣亭」を建て、初代席亭(寄席の主、経営者)を務めた北村銀太郎は私の祖父に当たりまして、建築業に携わっておりました。今でいう小さなディベロッパーですね。自ら設計して図面を引き、日本全国の腕のいい宮大工を束ねて、西日本、京都など各地で寺や神社などさまざまな建築を手掛けました。道楽を好み、寄席にもよく通っていた彼が自分のノウハウを注ぎ込み、「理想の寄席」として作ったのが「末廣亭」です。戦争が終わった翌年、昭和21(1946)年のことです。

日本中が、それまで当たり前にあった日常の幸せにどれだけ飢えていたか、どれだけの虚無感だったのか、想像してもしきれないほどですが、そうした時代だったからこそ戦後の焼け野原に完成した「末廣亭」は、周囲から本当に大歓迎されたと聞いています。たとえお金があっても、物資や匠の技術がなければなかなかこのような建物は作れなかったのではないでしょうか。

中に入ってみると中央は椅子席で、両側に桟敷席があります。これはほかの寄席と違うと伺いました。

桟敷があるのは、江戸落語がもともと江戸時代のお座敷芸から始まったものと言われていて、それをコンセプトとして作られているからです。
関西の方の「上方落語」は成り立ちが違っていて、大道芸がその由来ですから今でも舞台にあたる高座(こうざ)の形が全然違うのですね。「膝隠(ひざかくし)」と呼ばれるついたてや「見台(けんだい)」といった小さな机を置いて、それを叩いたりしながら賑やかにやるんですね。
江戸の落語は諸説ありますけれど、花柳界など料亭のお座敷に芸者さんをあげるように、粋人が噺家を呼び、落語をやらせるなどして遊んだのです。
「末廣亭」の高座を見ていただくと、下手(入り口から見て左側)には床の間があり、高座の後ろは板戸になっています。上手には障子があって、その後ろではお三味線やお囃子さんが音を鳴らすきっかけを見ています。まさにお座敷なんですね。

「わろてんか」(2017年放送のNHK連続ドラマで寄席が舞台となった)や、12月に最終回を迎えた大河ドラマ「いだてん」も、楽屋や寄席の雰囲気を伝えるべく資料提供として関わらせていただきました。お見えになった美術、技術の職人の方が口々に「建築の宝庫だ、こんな透かし彫りができる人はいない」なんて言って喜んでくださって。

椅子と桟敷席では、高座の見え方や楽しみ方も変わってきそうです。

同じ空間にいても、感じ方が全然違うわね。噺家が正面(椅子席)を向くのはト書き(登場人物の動きなど場面、状況を説明する)だけで、「大家さん、大家さん」「なんだい、熊かい」といったセリフは「上下(かみしも)切る」といって、上手や下手の方を見ながら話します。
桟敷席は大体高座と目線が同じ高さなので、噺家が左右の桟敷席の方を向いた時に目が合うのね。それこそ着物を来て自分のご贔屓の落語家を見に行くとするでしょう。桟敷席に座れば「あら、私を見てくれたわ」って(笑)劇場や映画館と違って明るいですし、本当に目があっちゃうんです。今は都内でうちだけなんですね、桟敷があるのは。

上手側に座ると、床の間の方が見えて落ち着いた気分になります。下手側から見ると障子のほかに小窓があって、そこから出入りしたり中の様子が少し見えたりするので、おなじみの人や、そのざわめきを知りたい人は下手側に座られたりしていますね。1階席が満員になると2階席を開放するのですが、こちらはこだわりの建物の中全体が見渡せてまたとっても味わい深いんです。途中で席を移りながら、それぞれの趣を楽しんでいただけたら、と思います。

子供の頃からここで落語を見られていて、記憶している風景はありますか。

その時代はね、本当に名人がキラ星のごとくいたのよ。2階、席の横、下手の方に創業10周年を記念して芸人さんが寄贈してくれた木札(名札)を掛けているんですけれど、それをご覧になると、まぁ、なんとも夢のような寄席ですよ、メンバーが。
「いだてん」にも登場する五代目古今亭志ん生、八代目桂文楽、六代目春風亭柳橋(りゅうきょう)、五代目柳家小さん、初代林家三平…。当時、ほかに娯楽もあまりなかったわけですし、今思い返しても贅沢だったと思います。

小さい頃、祖父に会いに母に連れられて見ていた風景は、ちゃんと覚えていますね。それこそ志ん生さんも、なんだか子供心に「すごい人だな」というオーラがふわーっとありました。そして昭和の爆笑王と言われた三平さんね。すごかったですよ、楽しくて楽しくて。三平さんが出ているって聞くとすぐに座席に飛んでいって見ていましたね。
前座さんが向こう側でパチっと見出し(演者の名前が書いてある木札)を替えるでしょう、「三平」って見出しに。それだけで本当に「わーっ!」という歓声が上がってね。木造ですから、揺れるんですよ。それこそ立ち見で、みんなが「待ってました」と声をあげるのです。
正蔵さん(三平の息子)が「そんな、揺れないですよ(笑)」っておっしゃるのだけど、「子供心に、皆さんの歓声が共鳴して揺れているって感じがしたんですよって」ってお話するんです。
サービス精神旺盛でエンターテイナー、たった一人で舞台の方に観客を引き寄せるんですね。好きな方、感銘した方はもちろんたくさんいらっしゃいますけど、私にとって「スター」と聞かれたら、三平さんのほかには後にも先にもいらっしゃいませんね。

テレビからインターネットと娯楽が増えて、「末廣亭」にも変化がありましたか?

2代目として母が席亭を務めていた頃は厳しい時代だったと思います。娯楽が多様化して、新しいデジタルな流れが押し寄せ、消費もものすごい勢いで推奨される時代でしたから。昔の、娯楽がないような時代を知る世代には一定数ずっと変わらずファンがいてくださいましたけどそれは昭和までの話です。
それが、平成も半ばになって落語ブームが起こって、今まで「落語なんてなんだか古臭い、おじいさんがやっているものでしょう、言葉だって難しそう」と感じていたような若い女性のファンの方が増えたんです。そのきっかけになったのはよくお話するのですが、2005年に宮藤官九郎さんが脚本を手掛けたテレビドラマ「タイガー&ドラゴン」(主人公の落語家を長瀬智也さん、岡田准一さんが演じた)だったのですね。

ドラマの中の役者たちが、軽快な脚本にのって噺家をやっている姿をみて、私は「落語女子」と呼んでいるんですけれど、それまで寄席など見たことがなかったような若い女性の方々が、「落語家ってなんかカッコいい!」って、大挙して寄席に足を運ぶようになりました。実際、寄席に行ってみたら「本当に楽しいし、変なところでも怖いところでもないわ」って気がついたのですね(笑)

お客さまが増えたとともに、落語家になりたいという若い方も増えたと伺いました。

驚異的に入門者も増えました。もともと落語好き以外の、ドラマを見ていたような若い男性も、落語家という生き方を一つの選択肢として認識したのですね。当時は今のような「芸人さん」も多くなければ、漫才師になろうという人もあまりいなかったかもしれませんが、「落語家」への抵抗がなくなったのでしょう。お笑いでもなく「落語」がそこで初めて注目されたことは、一つの大きなエポックメーキングだったと思っています。

何しろそれまでは年間数人しか入門者がいなくて、そのうちやめてしまう人もいて、前座も足りない状況だったのが、一年に100人といったような数の人がくる。1年半待たないと楽屋入りできないくらいで入門しても前座になれないの。そんなことがここ何年もずっと続いているんですね。
「の・ようなもの」(森田芳光監督による、若手落語家を主人公にした物語)が80年代にありましたけれど、「タイガー&ドラゴン」以降も、映画「落語物語」(2011年公開、落語家・林家しん平さんが監督を務めた)や、「の・ようなもの のようなもの」(「の・ようなもの」の35年後の世界を描いた2015年、杉山泰一監督作品)をはじめ、まるでとろ火が消えないように、落語をテーマにした作品が時々あって、人気が続いているように感じます。

ドラマや映画、何かのきっかけで、今までにあったモノの見え方が変わり、落語家が自分たちにとって身近な人になるとか、寄席が楽しい場所だと認識できるようになるってすごいことですよね。寄席じゃなくても、美容室やレストランなど、定休日に店を借りて若い人たちが落語の会を開いていますが、寄席よりさらに女性の比率が多いんです。若い女性の方は嗅覚に富んでいて、まるでドラマに出てくるような男前が入門すると、そうした会をはしごして追っかけて。みなさん前座時代の彼らを応援しながら、二つ目、真打へと彼らに伴走してくれているんですね。

若い方たちが、「落語」をより身近なものとして楽しんでいるんですね。

「大江戸八百八町(はっぴゃくやちょう)」なんて言葉がありますけど、大都市・江戸にあまたある町内に一つずつ寄席があったんですよね。「末廣亭」のような規模のものではなくて、それこそお蕎麦屋さんや髪結いのような場所もあったと思います。その風景は、時は変わりましたが令和になった現在、若手の落語家たちが活動の場を開拓して、さまざまな場所で落語会を開いている様子に重なり合います。
噺家の「噺」は、口偏に新しいって書くでしょう。新聞はもちろんネットもない時代、最新のニュースのようなものだったのですね。その名残が今でも落語で最初の「枕」と呼ばれる部分にあって、「枕」にはまさに今、世の中で起きている事柄などを取りいれているのです。

「噺家は世相のアラで飯を食う」という言葉もありますが、いわゆる瓦版のような役割でもあったと思うんですね。一番新しい情報は人の口伝えがなければ、なかなか伝わらなかったのですから、みなさんがそれを知りたいと落語を聞きにいったのではないでしょうか。だから落語ってすごく古いことを言うばかりでなく、実は新しいことも話しているんですよね。

だからこそ、コミュニティとして各町内に寄席のような場所が存在したのですね。

そうね。今、東西合わせて噺家の数が1000だとか言われていますけど、そういう意味では江戸時代の頃に近い感じになっているのでしょうね。定席は4軒しかないけれど、寄席は修業するところなんです。前座で楽屋の仕事をして、二つ目になったら寄席に出してもらえる人ももらえない人もいますけれど、自分たちで場所を借りながら落語の会を開くんですね。
ちょうどドラマからブームが起きた頃の入門者たちが今、真打になったような頃です。「落語女子」たちも、往年の名人に興味が湧いて本格派を深めていったり、新しく入門した人を応援したり、多岐多様になって面白いことになっているんですよ。

落語は高座で話すという非常にシンプルな芸です。小道具も扇子や手ぬぐいだけ。落語の一番の面白さはどのようなことだと感じられていますか?

噺家はたった一人ですが無限でしょう、役割が。花魁(おいらん)になったり、大家さんになったり、与太郎になったり、上手、下手に顔を向けながら瞬時にガラッと変化(へんげ)する、それはすごいと思います。
噺家を見ている人たちは脳内で、それぞれの役を想像するわけですよね。うちは満席だと300人ほど入りますが、例えば噺家が「紺屋高尾」(=こうやたかお。古典落語の演目で、花魁最高位の高尾太夫と染物職人の身分違いの恋物語)の話をするでしょう。「ふるいつきたくなる(思わず抱きしめたくなる)ような絶世の美女」なんて高尾のことを話すと、見ている老若男女が脳内にそれぞれの高尾を思い浮かべるわけです。場内に立ち現れるのは300通りの高尾です。芝居だったら衣装を着ていてみんなが同じお姫様、侍だったら同じ侍を目にしますし、紙芝居だって同様で、姿は限定されていますよね。

落語には群像劇だってありますから、あっちに行き倒れがいて、こっちに大家がいて、長屋中が出てきて、ワイワイガヤガヤしている。そうした大勢の人の姿も、それぞれがいっぺんに目に浮かべることができるんです。落語を話しているのはおじさんやおじいさんであったりするのだけど、彼らは本当に媒体であって、その人の「語り」一つでそこに300通りの人間の姿が現れる。そこがすごいと思うの。これは落語だけですよ!

いつの時代も落語を楽しむ姿は変わっていないのかもしれませんね。

そうですね。私もずっとここで仕事をしていますけれど、寄席に来ていたら病気も予防できるというか、お医者さんにかかるよりもいいんじゃないかしらと思うのです。
「笑う」ってすごいですよね。「歌舞伎」ももちろんいいですけれど、手っ取り早く笑えて楽しむのだったら寄席かしら。席も決まっていないし、まだ体験されていらっしゃらない方には、「寄席って何だろう?どんな人がいるのかしら」と少しハードルが高く感じられるかもしれないけれど、一度いらしてみたら、一人一人がより演者と密なように感じられて、特に若い女性が知ってくださったように「とっても楽しいところじゃない!」って思っていただけると思います。

「新宿」の街を「末廣亭」からずっと眺めてこられて、この先の未来にはどんなことを期待されますか?

実は、ちょうど昨日「ニューイヤーズ・イブ」(米・2011年、ゲイリー・マーシャル監督作品)という映画を何の気なしに観たんです。大晦日のニューヨークを舞台に、夜のタイムズスクエアでカウントダウンを祝う物語が軸になっているのね。家族、恋人、職場の同僚、さまざまな人間模様が描かれていて、新宿も「シネシティ広場」の周辺をもう少し整備したら、まさに映画で見たシーンのような素敵な雰囲気になるって、本当に思ったの。
これまでもレッドカーペットを敷いて映画祭といったイベントなどを行っているけれど、駅前の新宿通り辺りまで広げたら、いろいろな人たちが集まってそれこそ、多様性のある街「新宿」にすごく似合うのではないかと思いました。いろいろな意味で、銀座にはかなわないことも多くありますけれど、新宿には新宿ならではの文化が多様にあって、映画で見たようなシーンが叶うのは、銀座でなくて新宿ではないかしら、と思ったのね。人々が集まって期待に胸が膨らむような、新年のお祝いができるような場所に新宿がなれたら素敵ですね。

時代が移り変わっても、木造の寄席を大事に家族経営で守り続けてきた「末廣亭」。チケットも当日「末廣亭」でのみ販売を行う。「今日寄席に行こうかな」と来るまでの道もワクワク感がありますよね」と林さん。

基本的には、上席(110日)、中席(1120日)下席(2130日)の10日ごと(31日がある大の月は余市会といって特別興業を行う)に公演内容が変わる。昼の部(12時〜1630)と夜の部(17時〜21時)があるが入れ替えしないので、一日中たっぷり楽しんでもよし、時間に合わせて気になる演目だけ聞いても。入場料は3,000円(土曜日には2130分より「深夜寄席(1,000円)」も行う)。まだ未体験の方、ぜひ一度大都会の中で日本の文化を楽しんでみてはいかがだろうか。

 関連リンク 
「新宿末廣亭」東京都新宿区新宿3-6-12 TEL 03-3351-2974
http://suehirotei.com/

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歌舞伎町文化新聞編集部の略称アイコンです。

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