開館100年の個性あふれる老舗映画館「武蔵野館」
河野義勝代表取締役社長インタビュー

2020.11.20

新宿東口、武蔵野ビル3階にある「武蔵野館」のロビーに足を踏み入れると、上映作品にまつわるディスプレイや立体パネルを配したスポットが広がり、映画鑑賞前のひと時ワクワクした気分が高まっていくのを感じる。上映作品のセレクションだけでなく、映画館そのもののファンも多いことで知られ独特の存在感を放つ「武蔵野館」は、1920(大正9)年開館とその歴史は古い。20206月には100周年を迎え、都内に現存する映画館としては最古となる。

誕生のいきさつを紐解くと、新宿という街の名前がかつて幕府主導でなく、浅草商人たちの働きかけによって誕生した宿場町「内藤新宿」に由来するように、そこにもまた街に生きる地場の人々が込めた、街づくりに対する熱い思いが見えてくる。

新宿通り(新宿高野や中村屋などが並ぶ大通り)沿いにある現「ビックロ」(旧「三越」)の場所に当初開館した「武蔵野館」は、実は、映画には全く縁のない地元商店街店主たちによって誕生した施設だった。その頃の新宿といえば、賑わいのある銀座や浅草とは違い、まだまだ周囲に田畑が広がるようなのどかな場所。店主たちの悩みのタネは、商店街の中央に構える東京市電の広い車庫(現在の伊勢丹の並び)が町を分断し、薄暗く人通りがまばらになってしまうことだった。

「とにかく街を明るくしよう」「人が集まる文化的な街にしよう」と彼らが考えた末の案が、映画館建設だったのだ。

1947(昭和22)年、アメリカ映画「ブーム・タウン」が公開された時の様子(武蔵野興業 所蔵写真)

1947(昭和22)年、アメリカ映画「ブーム・タウン」が公開された時の様子(武蔵野興業 所蔵写真)

「武蔵野館株式会社」として資金を出し合った有志には、洋品商、洋食店、運送業、「紀伊國屋書店」の前身で薪炭商を営む田辺鉄太郎などが名を連ねた。当時新宿にはなかった3階建て、700席を有する西欧様式の大きな建造物は、相当人々の目を引いたに違いない。同年刊行された雑誌『活動倶楽部』に掲載された紹介記事には『土地の有志によった同館は、すべての点においてどこかアマチュアな気分が下級の従業員にまでうかがわれて気持ちよく、それに建築の壮麗さは誇るべきものがある』と記されている。(参考:『キネマの楽しみ〜新宿武蔵野館の黄金時代』)

1928(昭和3)年、現在の場所に移転する。新宿東口エリアで言えば映画館は、「武蔵野館」のほかには1924(大正13)年に開館した「新宿松竹館」があるのみだった。開館翌年に洋画専門館となり、スクリーンの中に映し出される輝くばかりの異国文化を提供してきた「武蔵野館」だったが、無声映画時代、活動弁士(モノクロのサイレント映画に語りをつけ説明する)や楽士(映画の伴奏や休憩中に名曲などを演奏し来場者を楽しませる)に最高の面々を揃えていたことが、館の個性を一層際立たせていた。

とりわけ活動弁士には、徳川夢声や山野一郎ら日本を代表する人物らが所属し、連日満員御礼、名実ともに東京随一の映画館と称された。日本で最初となるトーキー映画を上映したのも、初めてスーパーインポーズ版(日本語字幕)が登場したのも「武蔵野館」だった。

1964(昭和39)年1月、新春の武蔵野館従業員による集合写真(武蔵野興業 所蔵写真)

1964(昭和39)年1月、新春の武蔵野館従業員による集合写真(武蔵野興業 所蔵写真)

時は流れ、戦後、河野義一氏が事業を引き継ぐ。現在社長を務める河野義勝氏の祖父にあたる人物だ。祖父、祖母、父と継ぎ、2005年社長に就任された。

祖父が引き継いだのは終戦後の混乱期だったと聞いています。私が9歳の時に亡くなったので詳しい経緯はわかりませんが、常に「弱きを助け強きを挫(くじ)く」といいますか、困っている人を支援するような人柄で周囲にはたいそう慕われていたと聞いています。現在各界で活躍されている方々もいらっしゃって、映画文化発展のため、そして新宿の街や人のために尽力したそうです。

祖父はとにかくおしゃれな人でしたね。自宅に床屋を毎日呼んでいたり、洋服なんて500着くらいあって、ネクタイも毎日洋服に合わせて選んでいて。私が覚えている印象でも強烈な個性の持ち主で、エピソードには事欠きません(笑)

河野義勝代表取締役社長

河野義勝代表取締役社長

「武蔵野館」は常に時代の空気を捉えながら、ほかにはない新しい挑戦をされてきたように感じられるのですが、義一氏も新しいことをさまざまに仕掛けられたのでしょうか。

そういうことにかけてはもう非常にね! 本当にアイディアに長けた人でした。例えば戦後すぐ、二人掛けできる大きな座席を作ったんですね。祖父はそれを「恋が生まれる」ということで「ロマンスシート」と名付けました。「当時流行した映画館の横並びの座席にちなんだ」と「『ロマンスカー』(小田急電鉄)の名の由来にもなった」と言われています。

引き継いだ時には戦争で天井も吹っ飛んでいるような映画館で、それでもすぐに復興させたそうです。当時を知る人からは後々「おじいさんはむちゃくちゃな人だったよ! 『1カ月で修復しろ』って言うんだから」と聞かされました(笑)

天井に空いた穴から星が見えるような状態でも、映画を強行に上映したことがあったそうなんですが、子供の頃に祖母がよく「その時におじいさんね、『今に見てろ、俺がこの日本を立て直してやる。この空に輝いている星くらいの数の映画館を作ってやるからな』って話していたのよ」と聞かせてくれたのを覚えています。

祖母は「なんだかすごい妄想だけど、これだけの勢いならやるかもしれないわ(笑)」と思ったそうです。そんな風に新宿の街の復興を牽引し、危なくない街を作ろうということで、尽くしてきたのだと思います。

「武蔵野館」外観

「武蔵野館」外観

ご自身が初めてご覧になった映画は覚えていらっしゃいますか?

記憶に残っているのは、小学生の頃に見た「妖怪百物語」(水木しげるの妖怪画を元にした実写の時代劇)です。「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」と二本立てでやっていて、あとは「大魔神」も見に行きました。ガメラは叔父が特撮監督を務めていたので、合成技術もない時代、「カメの人形に花火をつけて撮った」などといろいろ裏話も聞かせてもらいました。

映画はすごくよく見ていました。経営一家の子どもでしたので、顔パスで入れた「武蔵野館」と、今はなくなってしまったけれど伊勢丹の向かいにあった「新宿ロマン劇場」などばかりでしたが。ちなみにそこも「ロマンスシート」から名前を付けています。家族皆よく映画の話をしていて、祖父もそうでしたけれど、母にもよく古い映画を見せられました。

2016年のリニューアル時に館内も一新、ロビーを飾る凝ったディスプレイも皆さん楽しまれていますね。

もともと館内のディスプレイは大事にしていて、映画の世界を楽しんでいただけるような立体物などを展示していました。リニューアルに当たり建築家の小山光さんが、映画にまつわるセットが活きるようなロビー空間、照明や壁の作り方などいろいろと考えてくださいました。「この映画館ならでは」な楽しさを味わっていただきたいと常々思っていますので、お客さまに喜んでもらえたらうれしいです。

「武蔵野館」館内のディスプレイ

「武蔵野館」館内のディスプレイ

その時のリニューアル・オープニング・ロードショー作品「小さな園の大きな奇跡」は社長自ら、直接香港に買い付けに行かれたと伺いましたが。

5人の園児が残された、資金不足で先生も園長もいない廃園危機にある実在の幼稚園をベースにした物語です。すばらしい作品があると聞いて独自に買い付けました。その少し前に「武蔵野エンタテインメント株式会社」を設立しました。従来の中国映画のイメージを刷新した青春ラブコメディ「閃光少女 Our Shining Days」や、イタリアのロマという民族の暮らしぶりを描いた「チャンブラにて」、そして最近では香港の名優アンソニー・ウォンが主演した、新進気鋭オリヴァー・チャン監督初の長編作品「淪落の人」を配給しています。俳優の森山未來さんがカザフスタン人役を演じた「オルジャスの白い馬」は出資も行い、製作委員会の一員として関わった作品です。

個性的な作品の上映が多いように思いますが、どのようにセレクトされているのでしょうか。

シネコンといった大きな映画館で上映されるものとはまた違って、確かに独自な路線が多いかもしれません。「武蔵野館」で見たいと思えるタイトル、当館でしか上映しないものを上映したいと思っています。新人監督の中には「武蔵野館で上映されるのが夢だ」と話してくださる方もいらっしゃり、ありがたく思います。

「武蔵野館」館内の様子

「武蔵野館」館内の様子

開館100周年に向け、20196月から月替りの記念上映を展開されています。初回のテーマ「語り継がれる名作バトン」では「カリガリ博士」など活弁上映も行われました。

最近もある記念講演で、現在弁士として活動を続ける澤登翠さんが「新宿は活動弁士にとっては聖地に近いものがある。なぜならば偉大なる徳川夢声が活動した『新宿武蔵野館』があるからだ」と話してくださったんです。娯楽も少ない時代の「武蔵野館」を知る方にお会いすると「昔は本当によく行ったわ」と言ってくださいます。この企画も年配の方、そして若い方、皆さんが足を運んでくださるような企画になるといいと思っています。

続く「継承・日本の武道と中国武術」(7月)では社長自ら演武を披露されたのが印象的でした。

実は若い時は武道家になろうと思っていて、稽古も10時間くらいするような毎日でした。中国に伝わる「八卦掌(はっけしょう)」という武術で、私は四代目を継いでいます。

たまたまある時、ブルース・リーの先生としても知られる武術家イップ・マンを描いた「グランドマスター」(2013年ウォン・カーウァイ監督)という作品を見ていたら、私の師匠の師匠がモデルと思われる北のグランドマスターも登場していたんですね。中国全土に名を轟かせ中国武術に影響を与えた人ですが、この作品を上映するに当たり、先生に捧げるつもりで演舞を行いました。

これまでの記念上映では、「アンネの日記」など残念ながら上映権がなくてかけられないものもありましたが、高倉健が主演して実に印象的な実写映画、しかも全編オール海外ロケという「ゴルゴ13」や、西城秀樹の「愛と誠」など、中学生の時に見て「かっこいいな」と思ったような個人的に思いのある作品も提案、上映してきました。

「二十四の瞳」を上映した時には、小学校時代の担任の先生に「なんで呼んでくれないの!私たち二十四の瞳みたいな感じなんだから」と言われました(笑)大学を卒業したばかりの新任だった彼女が初めて持ったクラスで、大石先生や映画を思い起こさせるようなところもありましたね。大好きな作品です。

小学校の同級生とは今でも年に何度も集まる仲です。「武蔵野館」も応援してもらっています。劇場の売り場にもそうした仲間とつながりのある、手作りのものを並べています。サンドイッチは同級生が運営しているお店で作っているものですし、クッキーやパウンドケーキは東京カベナント教会「のぞみ園」という福祉作業所から届けてもらっています。子供の頃から50年以上知っている牧師さんが赴任したのを機に、「何かお手伝いできないか」と思ったからですが、彼らが作るものが一般のお店で売れるということは生きがいになっているようです。映画はやはりサービス業で、人のためにならなくてはと思いますから、そうしたことも続けていきたいですね。丁寧に作られていてどれも美味しいんです!
江戸時代に新宿で育てられ、近年復活した江戸東京野菜である「内藤とうがらし」の応援もしています。江戸風味をはじめとしたさまざまな七味を常設で全種類置いているのは「武蔵野館」と姉妹館の「シネマカリテ」だけなんですよ。

サンドイッチやクッキーなどが並ぶカウンター(写真左奥)

サンドイッチやクッキーなどが並ぶカウンター(写真左奥)

「武蔵野館」の未来について、思いをお聞かせください。

個人の力ではなく会社というのは「天命」があって、100年続いたというのは何らかの使命があって存在していると思います。ですからできるだけ世の中にいい影響を与えられるような作品を提供していきたいと思っています。当社は映画産業ですから、映画館をどのようにしていくかということを念頭に考え、これからも映画と新宿の街に貢献していきたいです。

*インタビューは20201月末に行ったものです。
*新型コロナウイルス感染拡大予防のため延期していた月替りの100周年記念上映「世界のミフネと呼ばれた男〜三船敏郎 生誕百年記念〜」は、202111日から「武蔵野館」「シネマカリテ」で上映の予定です。

 関連リンク 
「武蔵野館」 東京都新宿区新宿3-27-10 武蔵野ビル3F
TEL 03-3354-5670
http://shinjuku.musashino-k.jp

「シネマカリテ」 東京都新宿区新宿3-37-12 新宿NOWAビルB1F
TEL 03-3352-5645
http://qualite.musashino-k.jp

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