新宿で創業94年を迎える
手芸・服飾用品専門店「新宿オカダヤ」
蛭川和勇代表取締役会長インタビュー

2021.10.19

「新宿」のルーツである「内藤新宿」は、江戸時代に新しい宿場町として誕生すると賑わいのある繁華街として栄えていった。それでも江戸の中心・日本橋から見れば2里(約8km)離れた郊外とあって、時代が明治に移った頃もなお辺りには畑や茶畑が広がっていた。やがて宿場町時代にその中心であったエリア(新宿三丁目交差点辺りから四谷方面)より数百メートル西に駅が開設され、明治も後半になって乗降客や貨物が増えてゆくと、駅前にはさまざまな店が立ち並ぶようになっていった。

以前、本サイトでご紹介した果物専門店「新宿高野」は界隈では最も古く、新宿に駅が開設されたのと同じ1885(明治18)年に創業し、今年136年目を迎える。都内に現存する映画館としては最古の「武蔵野館」も昨年創業100周年を、落語などの興行が楽しめる寄席「新宿末廣亭」も東京で最古、唯一の木造建築として創業75年目を数えた。このように、新宿には新しい文化の発信拠点となった老舗が実はいくつも見られるのである。

新宿駅東口駅前広場から新宿アルタ方面に渡った先にある「モア二番街」、その通り沿いに立つ「新宿オカダヤ」も1927(昭和2)年10月に創業し、今年で94年目になる老舗の一軒だ。手芸・服飾用品に特化し、新宿本店を中心に現在関東近県で30店舗を展開する。

新宿オカダヤの外観

新宿には服飾館(地下1階から6階まで)とアウトレット売り場(旧生地館1階)からなる本店のほか、新宿アルタの4階・5階に生地館がある。新宿オカダヤの大きな魅力の一つはその豊富なバリエーションで、例えば布・生地は32,000種、ボタン34,000種、糸6,500種、刺繍糸4,000種、毛糸・夏糸5,500種、ファスナーだけでも3,000種もあって、品揃えは実に50万点にも及ぶという。洋裁の教室を手掛ける先生や何十年も通い続ける手芸好きをはじめ、舞台やテーマパーク、美術関係者などプロの需要も多い。今回は株式会社オカダヤ 代表取締役会長の蛭川和勇さんにオカダヤ創業の経緯から専門商品に特化した店づくり、新宿の街が持つ魅力などを伺った。

代表取締役会長の蛭川和勇さん 

編集部:
創業の頃のことについてお聞かせください。

蛭川会長:
創業者である私のじいさん(祖父 蛭川鉄之助氏)は三重県から出てきて、元々は神田の須田町で印刷屋をやっていました。印刷といってもちょっと変わった印刷でね。須田町というのは界隈に生地屋さんがたくさんあったのですが、昔は洋服の生地を売るのにサンプル帳を作ったんです。生地の種類などが書かれたその台紙を作っていました。
その後、新宿三丁目に合名会社「蛭川商店」を設立し、屋号を「オカダヤ」として男物の洋装材料店を開いたのが始まりです。生地だけなく裏地や針、糸といったあらゆる洋裁道具を扱っていました。紳士服はすべてオーダーメイドだった時代で、店のお客さんは皆プロの洋服屋です。サンプルを持って東北から北海道の方まで出張販売もしていましたから、東京だけでなく関東から北の方にお得意さんがたくさんいらっしゃいました。

それから服飾の学校といえばドレスメーカー女学院(現・ドレスメーカー学院)や文化裁縫女学校(現・文化服装学院)などがありましたけれど、終戦後にじいさんは「日本洋服技能学校」という男物の洋服を仕立てる、寄宿舎を併設した専門学校を西新宿(現在本社のある場所)に作ったり、「月刊誌 洋装」という紳士服の本も創刊したりしています。

どのような経緯で新宿に店を出したのかその辺りはよくわからないのですが、じいさんからは歌舞伎町周辺もまだペンペン草が生えているような湿地帯だったという明治時代の話などを聞いたことがあります。

昭和26年の様子を伝える写真 

蛭川会長:
終戦直後、小学生の頃のことですが新宿は店舗兼住居で狭かったので、神田のじいさんのところに弟と泊まって、土曜日になると新宿の店へ親父とお袋の顔を見に来るという生活を長く続けていました。当時、新宿駅前に都電12番(系統)があって駅前から四谷、九段下の方を通って神田の須田町まで繋がっていたので、よくそれに乗っていました。現在のモア二番街という通りは、区画整理で道を広げる前は道幅も今の半分ほどで、いわゆる「縁台将棋」といって、お店の人やご近所の方が夏などはステテコ姿で道路に縁台を出して将棋をさしているような、そんなのんびりとした通りだったのを覚えています。その頃から続いているお店はもう、うちくらいかもしれませんね。

編集部:
看板に「世界のオカダヤ」と掲げられ、専門に特化したバリエーション豊かな商品を展開され続けていらっしゃいます。

蛭川会長:
もともとは借地だった店舗のある土地を終戦後に父、太郎が購入しました。戦後復興から少しずつ暮らしが豊かになっていくのを見て、親父は「これからは女性の時代だ」と考え婦人服材料など女性向けの商品を少しずつ取り入れ、販売を始めました。その頃、地下1階、地上3階の鉄筋コンクリート造ビルも建築しています。地下には最初リンデン(ドイツ語で「菩提樹」の意味)という喫茶店も併設していました。非常に人気があったのですが効率を考えるとあまり良くないので、その後何がいいかと考えたところからスタートしたのが女性の肌着・下着の取り扱いでした。すでにお客さんの78割が女性になっていましたので、共通するものは何だろうと考えての展開でした。いろいろなものが非常によく売れて、一店舗だけだったところから、新たにできた駅ビルなどにも出店していきました。1977(昭和52)年には地上7階、地下1階にするなど増改築を行っていますが、「世界中の流行品を集めよう」「オカダヤにくればなんでも揃う」という品揃えを目指してきました。

純喫茶「リンデン」があった頃
1953(昭和28)年当時のオカダヤを伝える資料(左、上から2番目)

編集部:
大都市として急成長してきた新宿で長く店舗を運営されていらっしゃいますが、大事にされていることは何でしょうか。

蛭川会長:
昔は全国どこでもちょっと駅を降りれば、糸や針を売っているようなお店がありましたし、百貨店にも洋装材料を扱う一角がありました。ミシンが嫁入り道具と言われ、一家に一台あり、主に女性が自分たちでお裁縫をしていたので需要も多くあったのですね。

今では既製品、完成品を買ってくることが多くなってきて、確かに若い人は少なくなりましたが、「Do it your self」まで含めた手工芸の趣味を持たれる方はいらっしゃいます。お金を出して買えるものはいくらでもあるけれど、「手で作りたい」という思いは、人間生まれながらにあって、その部分は変わらないと私は感じています。そうした人に対して材料や道具を提供できる場所でありたいと思っています。長く続けてこられたのは、扱っているものが専門商品であることが大きいと思います。専門だけど「専門よりさらに特化していく」というのが親父の願いでした。

続ける中で一番大事にしているのは接客・サービスで、当社独自のロールプレイング大会なども開催し質を上げていけるように注力しています。朝礼では、お客さんのアンケートの良いところと悪いところなど一番時間をかけて話しています。

さまざまな種類の毛糸などがならぶ本店店内の様子
本店内ボタン・洋裁雑貨のフロア 

蛭川会長:
商品の中には主にヨーロッパなどで買い付けたものも多く並んでいます。私も以前はよく仕入れに行っていて、イタリア、フランス、ドイツなどさまざまな国々を周りました。中国にも驚くほど大きな市場があるんですよね。それこそ百貨店のような規模の建物が3つも4つもあって、その全部が生地と服飾素材を扱っています。やはり自分で行って、そうした中から実際に見て選んでこなければダメですね。

デジタル時代になったことでどこか世界との距離が縮まり、ファッションの流行なども素早く拡散され、時間差がなくなってきているかもしれませんが、当時はヨーロッパのファッションの流行は1年くらい遅れて日本に入ってきました。何千年という文化的遺産、歴史のあるヨーロッパは、日本よりずっと進んでいたと思います。現地に行けば見たことのないような素材がたくさんあって、日本に買って帰って来ると「こんなの売れませんよ」と言われるんだけど、1、2年すると必ず売れるようになりました。
デザインはもちろん、日本では思いつかないような色の組み合わせのものがあって、例えば毛糸なども日本のものとは色使いが全然違いました。

新宿アルタ内 オカダヤ生地館の様子 

編集部:
世界から仕入れた商品が並ぶオカダヤは「最先端のファッションに触れられる場」にもなっていたのですね。

蛭川会長:
今は僕らの発想じゃ追いつかないくらい若い人たちの発想って広がっているので、海外で「この商品はこういったものに使うかな」と思って仕入れてきても、逆にお客さんが「こういうものが作れる」と、どんどん考えてくださいます。だからスタッフにも商品が売れたら、「何に使うか聞いて教えてもらいなさい」とよく言うんです(笑)。新たなアイディアを持った方がたくさん足を運んでくださるのは、新宿という土地の魅力だと思っています。多様なモノづくりをする人が集まる街、本当に新宿というのはおもしろいところです。地の利があるというのはそういう意味でも大きいですよね。人の流れが商売に繋がるので、じいさんも親父も、乗降客世界一、駅前の一等地という良い場所によくぞ店を出してくれたと感謝していますし、その運を大切にしていきたいと思っています。

編集部:
オカダヤの未来に描かれていること、新宿の未来に期待されることをお聞かせください。

蛭川会長:
時代が変わっても、実際に商品を見て、質感・手触りなどを確かめることは大切だと思っています。その部分はなくなることはないと思っているので、店という「場」を大事に今後も長く商売を続けていきたいと思います。来年には、2025年をめどにした建て替え計画もスタートします。

新宿は、西側は都庁や高層ビルが建ち並び、政治・経済を担う街の側面を持ち、東側は歌舞伎町という歓楽街のほか、百貨店や商店も多く並ぶ商業の街という顔があって、バランスがとても良いと思います。東京都と新宿区が2018(平成30)年に公表したグランドターミナル構想(「新宿の拠点再整備方針〜新宿グランドターミナルの一体的な再編〜」)がありますが、これはまだ20年も先の計画ですからこれから一層新宿は発展する余地があると思います。

新宿のまちづくりのためのさまざまな活動に関わっていますが、その中の一つで副会長を務めている「新宿EAST推進協議会」は今年設立10周年を迎えます。その記念誌のタイトルには「歩きたくなる街」という言葉を掲げようと思い描いています。自分たちの商売も大事ですが、街全体が良くならないとお客さまも来てくれません。ゆっくり歩いてまわりながらショッピングが楽しめるような街にしていけたらと思っています。

*インタビューは20218月に行ったものです。

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